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【まさかの逆転劇】普通の大学生がサーカスを退団して挑んだ夢…不合格の1カ月後に起きた奇跡 / 木下サーカスの思い出:第15回

7時間前

世界一のサーカスを目指し、ごく普通の大学生が木下サーカスに入団してから約3年半。京都・梅小路公園の寒い夜に銭湯で語り合った “若者たちの夢” はそれぞれの形で現実になりつつあった。

そしてついに……私自身も夢に挑戦する時が来たのである。サーカス流トレーニングで鍛えた体も気持ちも「夢を叶える準備」はできていた。いや、できまくっていたと言っても過言ではない。

──しかし、その先で待っていたのは完全に予想外の展開だった!

・夢を叶えていく仲間たち

2007年11月、群馬県高崎公演を迎えた頃には新たな練習生も何人か加わっていた。体操教室が始まった頃(2006年1月・京都公演)のような男同士の熱血柔道バトルなどは影を潜め、代わりに本格的な柔軟トレーニングやアクロバットなどの時間が増えていた。

あの頃の荒々しい青春が少しずつ終わっていくような寂しさがあったものの、サーカスを舞台に仲間たちが夢を叶えていく姿はいつも感動的だった


「サーカスは夢を与える仕事なんやから、自分たちが夢を叶えないと説得力がないやろ

先輩から言われた言葉もずっと胸に残っていた……さあ次は私の番である


・サーカスを退団

私が挑むのは “欽ちゃん球団” こと、社会人硬式野球クラブチーム・茨城ゴールデンゴールズ。2005年に創立され、2007年に全日本クラブ野球選手権で優勝。人気・実力ともに絶頂のアマチュア球団だ。


そんなわけで私は、高崎公演を最後に木下サーカスを退団することを決めた。約3年半暮らしたテント裏のコンテナハウス、練習の汗、夜の銭湯、朝から晩まで一緒に過ごした家族のような仲間たち……そのすべてを手放す決断である。

団員たちは快く入団テストへ送り出してくれた。涙の送別会、胴上げをされて空を舞った瞬間にサーカスでの思い出が走馬灯のように駆け抜けた。サーカスは夢を語るのも叶えるのも当たり前の環境。だからこそ、私も次の舞台へ向かう。

いよいよ、熱い挑戦が始まる……!


・入団テスト

2007年11月末、私は茨城県にあるゴールデンゴールズの本拠地にいた。広々としたグラウンドに集まっていたのは、全国から集まった野球戦士たち。強豪校のユニホームを着用した明らかに野球戦闘力の高い選手もチラホラいるようだ。

もらったゼッケンは77番、縁起が良い。入団テストはまず50m走、遠投、守備(ノック)、バッティングが行われた。50m走と遠投はトレーニングの成果を発揮できたが……

問題はその後、守備とバッティングである。自分のポジション(外野)でノックを受けるのも、人が投げたボールを打つのも高校以来。完全に一発勝負

バッティングは5球か7球か覚えていないが、そのうち1球だけ嘘みたいに完璧にジャストミート。打球が鋭く伸びていく……こ、これがサーカス打法じゃァァアアアアア

その瞬間を試験官をしていた元ジャイアンツの福井選手がたまたま見ていて「おっ、いいねぇ〜バッター!」と褒めてくれた……オッシャァァアアア! たった1球で約1年半のトレーニングが報われた。


・最終選考へ

まぐれの一発のおかげで、私は多くの受験者の中から最終選考7名に残った。最終試験は試合形式。ピッチャー志望の受験生とのガチンコ勝負である。

気合いは十分、体力も十分……しかし! 技術がまったく足りず。力みすぎて良い結果は出なかった。

テスト終了後、最終合格者3名の番号が読み上げられたが……77番は呼ばれなかった。残念ながら努力は報われず。奇跡は起きなかった。

──そのまま車を飛ばして木下サーカス埼玉公演の会場に向かった。夢に挑戦した者を心から受け入れてくれる仲間たちが待ってくれているからだ。

団員のみんなは本気で悔しがってくれた。そしてサーカスという “夢の世界” で育ててもらったことへの感謝が胸いっぱいに広がり、泣けた


・2007年12月末

涙の入団テストから1カ月ほど経った頃、練習仲間の彰吾から突然連絡が入った。「来週、現場(木下サーカス)に欽ちゃんが来るらしいよ」とのこと。え、マジかよ。

行くしかねえ!


というわけで、私は “元団員” として木下サーカス埼玉公演会場へ。現場は大勢のマスコミとお客さんで大騒ぎ。欽ちゃんの周りには人だかりができていて、とても話しかけられる雰囲気ではない。さすがに無理か。

あきらめかけたその時、入団テスト時に見かけた球団関係者を発見。思い切って声をかけてみた。

「木下サーカスの元団員です。先日は入団テストでお世話になりました。今年はダメだったんですが、また来年挑戦させてください!」

そう言って、熱い思いをつづった手紙を取り出すと……「今から欽ちゃんと中華を食べるから手紙を渡しておくよ!」と笑顔で受け取ってくれた。

テストには落ちたが気持ちは晴れた。せっかくだからサーカスの手伝いをしてから帰るか。ってことで、ひさしぶりに現場で働いていたら……先輩からトランシーバーで連絡が入った。


「スナコマはもう帰ったか? まだ現場にいるか?」

「まだいますよ。なんですか?」と返事をすると……


欽ちゃんが今からお前に会うために戻ってくるから入口で待ってろ!」


・急展開

……トイレでガクガク震えながら用を足した。人生で最も緊張した瞬間かもしれない。手を洗い、深呼吸をして入口へ向かう。

そして、欽ちゃんが現れた。


「うちのチームに入りたいからサーカスを辞めたのはお前か」

「はい、そうです」と答えると、欽ちゃんはこう言った。

「バカだね、うちのチームはみんな働きながら野球をやってるんだよ。お前がサーカスに戻るなら、うちのチームに入れてあげるよ。今から一緒に社長のところに行こう」


・サーカスに復帰

──まさかの展開である。そのまま社長室で面談が始まり、欽ちゃんはこう言ってくれた。

「この子は空中ブランコも飛べないし、玉乗りもできない。動物も全然詳しくない……でも、面白いじゃない

僕はね、運のいい子が好きなんだよ

「もう一度、この子を働かせてあげてよ」

その一言で、話は一気に動いた。 たった1カ月半でサーカスに復帰。そして茨城ゴールデンゴールズへの入団が決定したのだった。


・新たな物語へ

夢を語り、夢を叶えるのが当たり前のサーカスだから、こんな奇跡が起こったのだろう。欽ちゃんの言葉を借りるなら「運のいい子」になれたのかもしれない。おかげで超満員の野球場で野球をするという夢を叶えることができた(全然活躍してませんけど)。

そして、ほぼ時を同じくして……練習仲間の彰吾とマ〜シ〜が空中ブランコのデビューを果たした。京都公演の寒い夜、銭湯で語り合った夢。 柔道で汗を流し、アクロバットに挑み、何度も挫折をしながら前を向いた日々。

あの夜に交わした「3人で夢を叶えよう」という約束が現実に。そして物語はまだ終わらない。 サーカスは今日も旅を続けている。夢を乗せて、次の街へ。


・立川公演開催中

──というわけで、今回はここまで。 木下大サーカス東京・立川公演は2026年2月23日まで開催されている。興味があれば、100年以上受け継がれてきた世界三大サーカスの迫力をぜひ生で味わってみてほしい。それではまた!


参考リンク:木下サーカス
執筆:砂子間正貫
Photo:RocketNews24.

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