
あなたは「長崎県」と聞いてどんなことを連想するだろう? つい先日まで長崎と縁が無かった私は「出島」「ハウステンボス」「長崎ちゃんぽん」くらいのイメージしか持ち合わせていなかった。
お恥ずかしい話、長崎県のどこに出島があるのかさえ知らなかったのだが、どうやらJR長崎駅から徒歩圏内にそれはあるらしい。時間もあるしせっかくなので……というわけで、出島に立ち寄ってみることにした。
・窓口
まずは「出島」についてざっくり説明しておこう。出島は1600年代に江戸幕府が築造した人工島で、当時の日本における「唯一の外国の窓口」として知られている。もちろん原則的にオランダ人が出島から出ることは禁止されていた。
つまり日本の中の “隔絶された外国” といった感じで、その広さは「3969坪(約1.5ヘクタール)」とのこと(完成当時)。3969坪が広いのか狭いのかよくわからないが、ひとまず出島を目指すことにした。やがて……
・ここ?
「あれ? ここ?」という感じで出島に到着。正直な話まさかそこが出島だとは思わなかったので、道行く地元の方に「すみません、出島ってここですかね?」と尋ねたほど出島はこじんまりとしている。
そうか、これが3969坪か……。その広さは都心の小学校よりも狭い。約4.7ヘクタールの東京ドーム換算だと出島は「およそ1/3個分」ということになりそうだ。少なくとも「町」という規模とは感じなかった。
・見学
さて、入場料の520円を支払い出島を見学すると、出島は今でも当時の面影を残しつつ、良好な状態で保管されていた。この地にシーボルトがいて同じ空を見上げていたかと思うと胸アツである。
また中まで入って見学できる建物も多く、特に夕食会場などは非常に興味深い。歴史好きならずとも、出島に訪れるとグッと胸に込み上げるものがあるハズだ。それにしても……
出島せまい!
・もう少し広くても
率直に申し上げると、出島にいる間、何度「もっと広く作ってやればいいのに」と頭をよぎったかわからない。なにせ彼らは長きにわたり船に揺られて出島に辿り着いたのである。もうちょっと大地を踏みしめさせてやってよ……。
資料館の記録によると、当時オランダ・ポルトガル・イギリスを出発した商船は、南アフリカのケープタウンを経由して、まずはインドネシアの拠点を目指したそう。その拠点からタイや台湾、そして長崎に向かったとのことである。
インドネシアから長崎までの航海はおよそ1カ月半。今とは違って木造船である。バキバキの木の船に乗ってやってきた命知らずたちに、もうちょっと良くしてあげても良かったんじゃないですかーーー!
・金言
そのことを出島のガイドさんに伝えると以下のように教えてくれた。
ガイドさん「ハハハ。確かにそうですねぇ(笑)。ただ当時の江戸幕府はそれだけキリスト教が広がることを恐れていたのだと思います。言われてみれば出島の狭さは “江戸幕府の怯え” を表しているのかもしれませんね」
出島の狭さは江戸幕府の怯え──。この言葉は私の胸にスッと入って来た。そうか、それならば出島の狭さも理解できる。現在と当時ではあまりにも価値観が違うが、今なお残る出島の狭さは江戸幕府の恐れを物語っているのかもしれない。
歴史の授業で習ったため「出島」の概要についてはわかっていたが、やはり実際に行ってみて感じるものは多くある。おそらく100人中99人が「出島せま!」と思うだろうが、こんな解釈もあるとご記憶いただければ幸いだ。
参考リンク:出島
執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.
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