街を歩いていると強烈な主張を声高らかに発信している人がたまにいる。子供の頃に街頭演説なんてほぼ見た記憶がないのだが最近は普通の光景だ。これは田舎と都会の違いか、それとも時代の違いか。ともかく、日常の光景として心を閉ざしてスルーすることにも慣れてしまった。
なぜスルーかと言うと、怖いし面倒くさそうだから。多分、こう思ってるのは私だけじゃないはず。その証拠に、渋谷駅前で「三浦春馬は自殺じゃない!」と街頭演説していた集団も道行く人に完全にスルーされていた。
・正しいとか間違っているとかではない
誤解なきように言っておくと、私(中澤)はその主張が間違っていると思うからスルーしているわけではない。正しいとか間違っているとか思うほど、そのことについて意見がないのだ。よって、基本的にはその人がそう思うなら、そう思えばいいと考えている。
ただ、赤の他人を自分の思想に染めようとするのはちょっと怖い。それをするために、街頭演説をするという行動力にも「何があなたをそこまで突き動かすのか」と思ってしまう。
・やらなきゃいけないこと
よく見るとそのグループの後ろには、色んな芸能人の顔が印刷されたポスターまであった。普段ならスタコラサッサと通りすぎる場面。ただ、今はここでやらなきゃいけないことがある。
何を隠そう、私はその後ろにある渋谷区のハロウィンについての注意喚起の写真を撮影したいのだ。だがしかし、演説グループの中心に立っている垂れ幕が注意喚起に微妙に被っている。
いや、別にちょっと被ってるくらい良いのだが、今回は運悪く「渋谷区」の文字が隠れているのだ。渋谷区の文字が欲しいんだよな。
・異変
近くからなら文字だけはギリ撮れるか? そう考え、持前の鈍感力を全開に発揮して演説してる人の横に立ってみた。ここからなら写るか? いや、ちょっと逆サイからの画も見てみたいな。画角を試行錯誤していたところ……
チラチラ見ている……!
演説している女性がキョドっていることがオーラで伝わってきた。マズイ。距離を詰めすぎたかもしれない。気づけば、演説女性の後ろにいた。にわかにグループに広がる混乱。演説女性の横にいたパネルを首からかけている女性もチラチラこちらをうかがい始める。
・機先を制する
これで話さなかったら、普通に不審者扱いされてもおかしくない。そこで「あ、いたの?」って今気づいた感を演出しつつ、誰かが声を発する前に機先を制した。「ここで渋谷区の看板撮っていいスか?」と。
「あっ!」とパネルの女性の顔に安心感が広がったのが見て取れた。そして、「写真撮りたいんだってー!」と残りの2人に声をかけてくれる。その声には、ミヤマ珈琲でお茶をするマダム友達のごとき有閑の空気感が流れていた。それで撮れた写真がこちらです。
・人には色んな顔がある
やり取り自体はこれだけだったのだが、撮影している間立ち位置を微妙に変えたり気を使ってくれたりしたことも含めて、全然悪い人でも変な人でもなかった。むしろ、出会う場所が違ったら友達になれたかもしれない。
人には色んな顔がある。主張とか思想が強烈だからと言って、それで人格を判断してはいけないなあと思った出来事であった。
執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.