2021年12月8日、吹奏楽の名指導者・丸谷明夫氏の訃報(前日7日逝去)が流れた。経験者ならだれもが知る強豪校「淀工」こと淀川工科高等学校の顧問を長年務められた方だ。
教え子だけでなく、過去に吹奏楽に関わった多くの人がその死を悼み、Twitterでもトレンド入り。「他校の先生」に特別な感情を抱くというのは、吹奏楽部特有の文化かもしれない。
数十年も前のことになるが、筆者は地元では成績を残す吹奏楽部に所属し、全国大会の舞台「普門館」(当時)にも毎年行っていた。丸谷先生との面識はないが、記憶によみがえる高校吹奏楽部の日常をご紹介したい。
・実は体育会系
分類としては文化部に該当する吹奏楽部だが、練習時間の長さや休日の少なさ、競争に勝ち抜くという気概、私生活も含めたストイックさでいったら、完全に体育会系だ。
とはいっても高校生にもなると、おそらく「強制的にやらされる」ということはあまりない。上手くなりたい……その一心で、だれにいわれるともなく練習時間が長くなるというのが真実に近い。
筆者も授業の前に朝練をし、昼休みには昼練をし、放課後には校舎が施錠されるまで練習していた。休日が少ないのも同じで、「楽器は1日休むと3日遅れる」などといわれていたから、盆でも正月でも自主練に来ていた。
高校生くらいなら、やんちゃをしてタバコの1本や2本……という人もいると思うが部内では大罪。出場停止云々ではなく「肺活量が落ちる(=下手になる)」と信じられていたからだ。そのほか、唇が荒れるので辛い食べ物は口にしないなど、真偽はともかくみんな自分なりのルールをもっていた。
いまにして思えば、高校生が興味本位で手を出す数本のタバコがすぐに肺活量に影響することはないだろうが、自分の信じるものに対してバカ正直なくらい一途だったともいえる。
・指導者は絶対的存在
とかく教師というのは、嫌われる仕事だ。高校生ともなれば口うるさい大人のいうことなど聞きやしない。友達感覚で話しやすい教師はいても、尊敬を集める教師というのはそうそういないと思う。
しかし、吹奏楽部で「名指導者」と呼ばれる先生は、部員からすれば「神」である。単に「怖い」とか「評価される」というだけでなく、自分たちの音楽を導く存在だから、信頼と尊敬の念がなければついていけない。
先生の音楽性を信じてついていく、その結果コンクールで評価される、という経験を繰り返して、強固な絆が結ばれていく。
丸谷先生の厳しい指導を「カルト的」と評する意見もあるが、静かで気難しい「芸術家肌」の筆者の顧問も、部員から全幅の信頼を得ていた。なにを隠そう筆者は、卒業謝恩会で「顧問が私の名前を覚えていた!」という事実に感激したくらいだ。
しかし部員ではない生徒からすれば、ほかの教師となんら変わらない「センコー」なので、普通に小馬鹿にしたり反抗したりする。その様子を吹奏楽部員が苦々しく見ている……そんな場面があるはずだ。
もしあなたが現役の学生なら「吹奏楽部の顧問を馬鹿にするときは覚悟する」ことをお勧めする。
・たまに音楽の神が降臨する
スポーツなどで集中力が極限にまで高まった状態を「ゾーンに入る」という表現をする。吹奏楽部にもごくごくまれに、そんな奇跡のような瞬間が訪れる。
自己コントロールで安定した集中力を発揮するのがプロの演奏家だと思うが、高校生にそんな芸当はできない。筆者も人生でたった1度だけだ。
本番中すべてのパート(楽器)、すべての音に一体感があり、「自分の音」ではなく「音楽という有機体の一部」に同化していることを感じる。練習では危うかったタイミングがピタッ、ピタッと完璧に決まる。
「どうやっても失敗しようがない」という、神がかった確信。自分だけではなく、みんながそう感じていることがわかるテレパシーのような不思議な感覚。
そしてその空気は会場にも伝わる。演奏が終わった瞬間、客席でスタンディングオベーションが起きた。通常、会場には生徒の家族や学校関係者が来ているので、多少「ブラボー」の声が上がるのは日常的だ。
しかし、そういった「お愛想」ではなく、会場が一体となって万雷の拍手が起きるというのは、そうそう経験できることではない。残念ながら地方大会での出来事で、全国大会でそのパフォーマンスを再現することは叶わなかった。音楽の神はめったに微笑まない。
・オーディションで泣く
コンクール出場の最大編成には上限(例:高校の部55名以内)があり、部員全員は出られない。部内で「選抜」や「オーディション」が行われることになる。
やり方は各学校それぞれだが、筆者が知る限りもっとも過酷なのは、ブラインドでのオーディションだ。
たとえば1年生から3年生まで、全部員の前で1人ずつ演奏する。部員は後ろを向いているので、「だれが演奏したか」はわからない。つまり「先輩だから」「友達だから」という忖度(そんたく)いっさいなく、メンバーを選ぶというものだ。
3年生だけれど出場できない、新入部員なのに選抜される、という下剋上が起こる。それが必ずしも練習量と比例しないところが、またつらい。「才能」という目には見えないものを妬む気持ち、同じ経験年数でも選ばれる人と選ばれない人……
筆者の学校はそこまで厳格ではなく、3年生を中心にメンバーを組み、オーディションもパート(その楽器)内で小規模に行うものだったが、それでも落選の悔しさは忘れられない。
敗者復活はほとんどなく、地区大会から全国大会までの数カ月間、選抜メンバーとそうでないメンバーは練習する曲も内容もまったく違う道を歩むこととなる。
・合宿や合同練習もある
合宿は運動部だけのものにあらず! 「なにするの?」と思われるかもしれないが、楽器の音が響いても差し支えない会場を借りて(たとえば旅館の貸し切り)一日中パート練習や合奏をするのだ。
指導者のツテでプロに編曲してもらったり、指揮者や演奏家を招いたり、記念行事的に他校と合同練習することもあって、自然に外部とつながりができた。
とくにコンクールでは出場校が一堂に会し、自分の出番以外には他校の演奏を聴くこともできたから、黙っていても様子が伝わってくる。人数が多すぎるのでスポーツ漫画のように「控室でバチバチ」なんてことはないが、互いに名を知っている常連校同士というのはあるし、遠く離れていてもDVDなどで強豪校の演奏を知ることもある。
かつて吹奏楽部だった人同士の「一体感」は、そういうところから来るのではないかと思う。
・あの頃……
音楽が好きで好きで、寝ても覚めても部活のことを考えていたあの頃。
けれども卒業生のほとんどは、音楽とは関係のない進路に進む。留学や音楽大学への進学を目指すのはごく一部だ。部活だけでは当然不足で、練習のあいまに個人レッスンを受け、猛勉強し、それでも浪人し……と厳しい道を歩むことになる。
人生のなかで、ほんの数年だけの特別な時間だった。そして、音楽をやりたいのならプロを指揮すればよかろうに、あえて高校吹奏楽界という発展途上の生徒たちを相手にする道を選んだ、指導者の先生たちにも感謝したい。丸谷明夫先生のご冥福をお祈りいたします。
執筆:冨樫さや
Photo:RocketNews24.