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【朗報】重巡洋艦「摩耶」をパラワン島沖にて発見! 主砲やブリッジなどの写真を故ポール・アレン氏のチームが公開

2019年7月2日

マイクロソフトの創業者であり、戦艦「武蔵」の発見者でもある故ポール・アレン氏。「武蔵」のほかにも戦艦「比叡」をソロモン諸島沖にて発見したり、「扶桑」や「山城」をフィリピン南のスリガオにて発見したりと、とにかく大戦中の沈没船を見つけまくっている。

2018年にアレン氏が亡くなったあとも、氏の意思を継いでチームは調査を続けていたが、このたび公式Facebookにて新たに「摩耶」を発見したとの発表があったぞ!

・レイテ沖海戦

今回発見された「摩耶」は、1944年10月20日から25日にかけてフィリピン周辺で行われた、レイテ沖海戦で沈没した重巡洋艦。高雄型という船級で、「大和」や「武蔵」と共に進撃中に米潜水艦の攻撃を受けて沈没したとされる。

そんな「摩耶」が75年ぶりに発見されたという発表は、故ポール氏が所有している調査船「ペトレル」の公式フェイスブックにて2019年6月30日に投稿された。


“The RV Petrel crew discovered the IJN heavy cruiser Maya off the Philippine Island of Palawan on April 19th. ”
(ペトレルのクルーが大日本帝国海軍重巡洋艦「摩耶」を4月19日にパラワン島沖で発見)

“Maya, a Takao class cruiser was sunk by the US submarine USS DACE on the 23rd of October, 1944. Maya went down with 336 of her crew in about 1850 meters of water.”
(高雄型巡洋艦の「摩耶」は米軍潜水艦デイスによって1944年10月23日に撃沈。336名の乗組員と共に、1850メートルの海底に沈んだ)


この説明書きと共に、16枚の水中写真が投稿されている。測距儀(艦砲を命中させるための距離計)のパーツなどは、書かれている文字や色がはっきりわかるレベルで、なんだか生々しい。

それに「摩耶」が見つかったなら、同じ戦闘で10分くらい先に沈んだという「愛宕」の発見もワンチャンあるのではと期待せざるを得ない。

参照元:Facebook
執筆:江川資具

※スマホで表示が崩れる場合は、画面を横向きにしてみてね

▼パラベーン。係維(けいい)掃海具とも。水中を曳航して、機雷の係維索(海底の錘と機雷をつなぐワイヤーみたいなもの)を切断するためのもの……かな?


▼前部の20センチ砲。主砲は全て、あるべき場所についたままだそう。


▼ブリッジも健在。


▼ブリッジの双眼鏡。


▼上部構造の一番上には測距儀が。


▼測距儀のパーツ。「五十口径三年式~」は20センチ砲の正式名称。「九一式~」と読める部分は「摩耶」に搭載されていた2号20センチ砲用の九一式徹甲弾のことだろうか。


▼左舷の25ミリ単装機銃。


▼左舷の12.7センチ高角砲 。


▼右舷の25ミリ3連装機銃と、絡みついている錨の鎖。


▼右舷の12.7センチ砲。


▼20センチ砲。


▼カタパルトの基部だとか。


▼船尾の20センチ砲。砲はついているものの、周辺のデッキが崩壊している。


▼爆雷。


▼船尾。


▼船首だけはちぎれて逆さまになっているそう。

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