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【コラム】イチローと同じ年に生まれて

2019年3月22日

昨日2019年3月21日、突然の発表に日本中の誰もが衝撃を受けたに違いない。長年活躍を続けたイチロー選手が、現役を退くこととなった。その日は東京ドームで、所属するシアトル・マリナーズとオークランド・アスレチックスの開幕戦2日目。イチロー選手も先発で出場していた。まさかそんなタイミングで引退を発表し、記者会見を行うことになるとは……。

ところで、45歳まで現役を続けてきた彼と、私(佐藤)は同い年。1973年に生まれた彼が一線を退くことについて、いろいろな思いが心の奥底から湧き上がってくる。若いころは、彼の活躍を見るのがイヤだった。

・いつ彼のことを知ったのか

イチロー選手と同じ歳だからといって、私が彼と自分を比較することは大変おこがましいことだと思っている。それを承知のうえで本稿を執筆していきたい。

イチロー(鈴木一朗)という野球選手のことを、いつ知るようになったのか、正直覚えていない。というのも彼の1学年下には、松井秀喜さんがいたからだ。私はそれほど野球に明るい訳ではないが、松井さんの活躍はよく覚えている。

彼らが高校球児の頃、つまり私も高校生の時は松井さんの活躍があらゆる方面で話題となっていた。プロ入りする前にすでにスターだったと言ってもいいだろう。一方のイチロー選手は、プロ入り後もしばらくはその名(鈴木一朗)を聞くことはなかった。


・自分の小ささ

彼のことを認識し始めたのは、1994年「イチロー」として選手登録した頃だと思う。故・仰木彬監督が彼の才能を見出して後は、多くの人が知るように目覚ましい活躍を積み重ねていくこととなる。


当時21歳のイチロー選手と私。あの頃の私は、彼の活躍を知ることがとてもイヤだった。それまでの日本球界における記録を次から次へと塗りかえて行き、輝かしい成績を積み上げていく彼が、眩しくて見ていられなかったのだ。あの頃の私には、何ひとつ取柄がなく、むしろ運動の分野においては人よりも劣っていると考えていた。

そして何より、「やりたい」と思うことが何も見つからなかった。働いてはいたけど働く意味もわからず、趣味らしきものもあるようなないような状況。自分が何をやりたいのかわからないのに、時間だけが過ぎていく。夏の日に沈む夕日を見るのがとても嫌いだった。何も残せないまま1日をやり過ごす自分を嫌悪していた


そんな自分から見ると、イチロー選手はキラキラと光り輝いて見えていた。1シーズンごとに記録を塗りかえて、それまでの野球史を根底から覆していくようだった。そんな彼が同い年。ただただ自分はちっぽけな存在。自分の小ささを思い知らされるようで、彼の活躍を知ると自分が悲しくなった


・遠くの「超人」

彼がアメリカ、メジャーリーグに行ったのは2000年。27歳の時だ。その時の私は、多少目的めいたものを持っていたが、やはり彼のことが眩しかった。むしろ、渡米によってずっとずっと遠い存在、もはや同い年と思うのはやめようとさえ思った。

「超人」と思うようにしよう。「天才」と称される人は、きっと努力もなくすごいことができる、そう思えばいい。自分の存在の小ささで傷つくのに疲れたから、彼を自分とは別の類の “何か” にすることで、収拾をつけることにした。


私が自分勝手な解釈で彼の存在を理解している間も、彼は努力を続けていた。32歳(2005年)にメジャー通算1000本安打。36歳(2009年)にメジャー通算2000本安打。そして42歳(2016年)に史上30人目、アジア人で初となるメジャー通算3000本安打を達成するに至る。45歳で引退発表をするまでの間、28年間のプロ野球生活のなかで、日米通算4367本安打を記録している。

歳を重ねるにしたがって、「イチロー選手の記録は超人的な能力によるものではなく、毎日毎日1試合1試合の積み重ね。ただひたむきに目の前のことに集中していることによって生み出されるのだ」と感じ始め、1つ1つに集中することがどれだけ大変で意義のあることか、私もわかり始めた。


・自分なりに

昨日の引退会見で、彼は「後悔はないか?」という質問に対して、こう答えた。


「他人より頑張ったということはとても言えないですけど、自分なりに頑張ってきたとははっきりと言える」


会見中に数々の名言を残しているのだが、そのなかでも特にこの言葉が私の中に残った。本当に自分自身に向き合ってきた人でなければ、言えない言葉だ。それと同時に、「自分なり」の努力は誰にでもできることでもある。偉業を成し遂げられなくても、日常のなかで自分なりに頑張ることは私にだってできる。

もはや遠くの「超人」でも「天才」でもなく、同じ人としてイチロー選手をとても身近に感じる。そう思ってしまう言葉だった。


20代の頃に彼が眩しく見えたのは、もしかしたら、ただの羨望に過ぎなかったのかもしれない。今はもうあの頃と同じ輝きではない。彼の存在は、もっともっとあたたかくて深い光を私の心の奥底に届けている。彼と同じ年に生まれたことを、誇らしく思う。

参照元:朝日新聞デジタルサンスポ
執筆:佐藤英典
Photo:Rocketnews24

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