日本男女を通じて史上初となる「4大大会シングルス優勝」の快挙を達成したプロテニスプレイヤーの大坂なおみ選手。祝福の声が殺到とするとともに、特にインターネット上では “微妙な空気” が流れている。
ズバリ言ってしまえば「大坂なおみ選手を日本人と言い切ってしまって良いのか?」みたいな雰囲気があるが、今回はこの件に関して在日韓国人である私、P.K.サンジュンが「日本人の定義」について思うところがあるのでお話したい。
・あくまで個人の見解
最初に断っておくが、これから記述することはあくまで私個人の見解である。在日韓国人を代表しているつもりもないし、当サイトの方針でもない。ただ、日本に生まれつつも日本人ではなく “外人” として育った私が、これまでの40年間で感じたことがベースになっている。
さて、まずは大坂なおみ選手の基本情報についておさらいしておこう。大坂選手のお父さんはハイチ系アメリカ人、お母さんは日本人である。国籍はアメリカと日本の二重国籍で、テニスプレイヤーとしては日本を選択しているのが現状だ。
また、生まれは大阪府大阪市で4歳の頃にアメリカに移住。言語は英語の方が流暢であり、日本語については現在のところ “ベラベラ” といったレベルではないようだ。つまり、
・国籍的には二重国籍
・血的にはハーフ
・日本生まれ海外育ち
・日本語にやや難あり
……の大坂選手を「日本人と呼んでいいのかわからないネット民が多い」ということなのだろう。
https://instagram.com/p/BnM4EbQFQE9/?taken-by=naomiosakatennis
・「日本国籍」と「日本人」の違い
私が思うに、日本人が使用する「日本人」と「日本国籍」のニュアンスはやや違う。日本国籍は国籍さえ日本であればそのまま「日本国籍」となるが「日本国籍を有していれば日本人か?」というと、それもまた違う雰囲気があるのだ。
日本人は良くも悪くも保守的な民族だと私は思う。周囲を海という天然の要塞で囲まれたロケーションは、他国にはほとんどない。しかも数千年の間、基本的には大和民族のみ(アイヌ民族や琉球民族は超少数派)で構成されていた環境も、日本人像を大きく形成している。
例えば、地続きのヨーロッパでは遥か昔から「他の民族がいる」という事実を感覚として知っていたハズだ。それはアラブ諸国も東南アジアも中国も同じで、日本人だけが「この世には日本人しかいない」という感覚で何千年もの間 生きてきたのだ。
・日本の風土を形成した要素
これは決して良い悪いの話ではない。むしろ日本の豊かな文化を形成するうえで、とても重要な要素である。悲しいことに民族は殺し合ってきた。ユダヤ民族も朝鮮民族も「自分たちと違う民族」という理由だけで殺戮の対象とされ、また相手を殺戮の対象とする時代があったのだ。
ただ、それが日本人にはない。先述のように、基本的に単一民族の日本人は織田信長が天下を取ろうと徳川家康が天下を取ろうと「大和民族だから」という理由だけで殺されることはなかった。海という鉄壁ガードのおかげで他民族からの侵略もほとんどなく、ある意味で「命の保証がされた民族」だったわけだ。
だからこそ、日本人は豊かな文化を形成できた。詳しくは書かないが、江戸時代の文明や文化は地球規模で見ても世界最高峰だったそうで、私も司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むたびに「日本人すげえ」と感動する。つまり「最強の地理的環境」と「単一民族」であることが、日本人や日本の風土を形成しているのだ。
この日本人観や風土からすると「日本人の定義」は少なくとも、純血の日本人で、日本で生まれ、日本で育ち、日本語ができること、となる。何度も言うが良い悪いではなく、地理的環境と単一民族であることが、日本人のベースとなっているのだ。
・思考と感覚の違い
ただし、時代は変わった。ここ数十年のグローバル社会については言うまでもなく、木造船に乗り命がけで目指した外国がすぐそこにあるのがあたり前になった。世の中に日本人だけしかいなかった時代が終わりを告げ、日本人もまた世界を構成する一民族であることを日本人が知り始めたのである。
とはいえ、そうなってからごくわずかな時間しか流れていない。大政奉還があったのは約150年前。チョンマゲで着物で草履、大名が道を通るときは土下座していた時代から、まだ150年しか経っていないのだ。私から言わせれば150年やそこらで風土や民族性は変わらない。人間の思考は一瞬で変化するが、感覚が変わるには相当な時間を要する。
話はやや逸れてしまったが、おそらくあと100年か200年もすれば、今回の大坂選手の件のようなことは無くなるだろう。あたり前に日本人として扱われ、全ての日本人があたり前に日本人として捉えるハズだ。
そしてその時は突然やってくると予測する。良くも悪くも日本人は流されやすいので、多数がそういった空気になった時、一気にそうした社会になっていくことだろう。
・これからの「〇〇人観」
最後に、先ほど「純血の日本人」「日本生まれ」「日本で育ち」「日本語ができること」が長い期間で培われた日本人の定義だと申し上げた。ただ、これからはそれら以上に大切になってくる要素が1つある。それは「日本を愛する心」だ。
おそらくこの先は日本だけではなく「国籍」と「その国を愛する心」が “〇〇人” の定義となるのではなかろうか? 言うまでもなく、エネルギーにせよ食料にせよ文化にせよ、もはや日本人は日本だけでは生きられない。生まれた土地で半強制的に生きていくしかない時代は終わり、誰もが好きな土地で自分らしく生きられる時代へ突入しつつあるのだ。
その際 “〇〇人” という言葉にどれほどの意味があるかはさておき「自分は日本人だ」と思うならば、国籍や言語、生まれ育った環境以上に「日本を愛す心」がその拠り所になるに違いない。それは決して「日本すげえ! 日本人万歳!!」というテレビ番組で培われるものではない、と日本を愛する私は思う──。
参照元:Instagram@naomiosakatennis
執筆:P.K.サンジュン
▼一点、日本人は保守的だけど排他的ではありません。それは「お客さんには親切にしてやんなさいよ」という高い教養があるからです。ただ “お客さん” なんだよなぁ。