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【インタビュー】荻田氏にとって「南極点無補給単独徒歩」は冒険ではなかった!? 日本人初の偉業を果たした男の語る真意とは?

2018年2月27日

極地冒険家の荻田泰永(おぎたやすなが)氏が、日本人初の偉業を成し遂げてから早いもので1カ月以上が経つ。2018年1月5日(日本時間1月6日)に無補給単独徒歩で南極点に到達し、1月中旬に帰国。この1カ月の間に、中国に行ったり地元の北海道と東京を何度も行き来したり、テレビや新聞、ラジオなどの取材を多数受けたりして、忙しい毎日を送っているようだ。

そんな彼に、あらためて今回の冒険についてお話を聞くことができた。彼によると、今回の無補給単独徒歩は “冒険” ではないという。これは一体どういうことなのか?

・植村直己冒険賞を受賞

帰国から約1カ月が経った2月16日、荻田氏は2017年「植村直己冒険賞」を受賞することが明らかになった。この賞は、日本人冒険家にとって栄誉と呼べるものであり、彼の師にあたる大場満郎氏も18年前に受賞している。それでも南極点踏破は荻田氏の想定よりも、はるかに過酷ではなかったという。


・過酷度は超えていない

荻田 「今回は『挑戦』というよりも、『好奇心』の方が強かったかもしれません。実は北極以外の海外を知らなかったし、他の極地も知らなかったので、いずれ南極に行こうとタイミングを計っていたところはあります。40歳の節目を迎えたこともあり、いろいろ重なって南極点を目指すことになりました。

北極冒険の経験から、ある程度の(無補給単独徒歩の)想定は立ててましたけど、正直なところ、過酷度はその想定を超えることはなかったですね」

佐藤 「そうは言っても、寒さも2000メートルを超える山登りもキツかったと思うんですけど。約100kgのソリをひいて、激しい向かい風(カタバ風)にさらされるのは、困難を極めると思うんですが……」


・知識と経験の範疇

荻田 「たしかに、最初の数日はちょっと大変ですよ。極地の無補給徒歩の場合、寒さへの慣れとソリひきへの慣れがあります。日が照っていたので、寒さはそれほどではなかったです。ソリひきはいつも(北極冒険)のことなので、特別に大変ということはないです。傾斜があるとはいっても、緩やかですから。斜度がキツイところは、氷がガリガリに固まってるから大変って言えば大変ですけど、ずっとそうではないですし……。

カタバ風もキツイけど北極のブリザードほどではないですね。強風の日はあるけど、ブリザードみたいに何日も続かないし。想像していたよりも緩かったです。その想像の段階も北極よりも緩かったけど」

佐藤 「荻田さんの想像よりも緩かったとは言っても、危険もありますよね。クレバス(氷床の深い割れ目)に遭遇することもあるし、氷点下20度を下回る世界なら、凍傷にもなる恐れはあるし」

荻田 「南極の場合は、クレバスの位置は大体わかっています。凍傷になるのは寒さが原因ではないです。準備やケアが不十分だからなるんです。突然寒さが襲ってくるような場所ではなく、ずっと寒いのは最初からわかってるんですよ。だから、油断が原因と考えても良いかもしれません。冒険とは、「ムチャをする」ことではないんです。もしも冒険を失敗するとしたら、知識や経験、考えが足りなかったということでしかないんです。

だから本音を言えば、今回の南極点の無補給単独徒歩は、すべて自分の知識と経験の範疇だったので、僕にとっては冒険ではないんです」


・冒険とは?

荻田氏は過去のインタビューで、冒険についてこう語っている。

「挑む者がリスクと主体的に向き合い、行動を選択し、試行錯誤をして目的達成を目指さなければならない。したがって、僻地(極地)に行くのは目的のための手段であり、裏を返せば日常にも冒険はありえる

北極で培った知識と経験が、南極冒険のリスクを軽減していたのかもしれない。とはいえ、日本人初。これまで日本人が誰も成し遂げたことがないことを達成したのである。その功績は称えられるべきなのだ。


・若者を連れて北極へ

そんな荻田氏は、来年に向けて1つの計画を考えている。2000年に大場氏主宰の「北磁極を目指す冒険ウォーク」で自分が初めて北極に足を踏み入れた時と同じように、若者を連れて北極に行くことを考えているそうだ。自分ひとりが極地に向かうのはもう何度となく繰り返しており、ある程度のことは経験則で読めるという。しかし人を連れて極地に行くことは、それとはまた別の次元の問題が伴う。

行程で仲間の身が危険にさらされることもあるだろう。見知らぬ同士が30日以上も行動を共にすれば、予期せぬ問題も起きるだろう。単独徒歩とはまた違った現実と向き合うことになる。


それもまた、荻田氏の考える「冒険」である。冒険とは、考えること・試行錯誤していくである。2019年のチャレンジによって、荻田氏は冒険家としてのキャリアをまたひとつ伸ばすことになるだろう。そうして2020年に再び北極点無補給単独徒歩を目指すことになる。南極点での偉業は彼にとって、通過点にほかならない。北極こそ彼の本懐である。

取材協力:荻田泰永南極遠征事務局
Photo:Rocketnews24 / 荻田泰永, used with permission.
Report:佐藤英典

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