私の名前はGO羽鳥。別名マミヤ狂四郎だが、知られざる本名は羽鳥 豪(はとり ごう)だ。親父は瓦屋、祖父も瓦屋、曽祖父も瓦屋で、戦前から「羽鳥商店」という瓦問屋を営んでいた。先祖代々伝わる瓦屋の跡取り、それが私、GO羽鳥である。
それはどうでもいいとして、名前が羽鳥なもんだから、私のことを「忍者ハットリくん」と呼ぶ友人も幼稚園時代には多数おり、いつしか私自身も「実は……僕は忍者なのでござる」と思い込むようになっていった。
そのまま月日は流れて25年ほど経ったとき、祖父に「うちの祖先は忍者なんだよね?」と、真顔で質問したことがある。祖父は “どっから忍者なんて出てきたんだ? ”という顔をしながらこう言った。「おれたちのご先祖様は、羽鳥じゃないんだよ」……と。
・機織(はたおり) → 服部&羽鳥
遠い昔に、羽鳥のルーツを調べたことがある。なんでも「服織(はたおり / はとり)」がルーツらしく、そこから「服部」と「羽鳥」が派生した──とかなんだとか。服部といえば服部半蔵、服部半蔵といえば忍者、よって私も忍者……と、強引に結びつけていたのだ。
しかし、「そもそものルーツが羽鳥じゃない」とは、一体どういうことなのか? 祖父の話を簡単に説明すると、以下のような感じである。
・群馬あたりの元祖羽鳥商店
まず、埼玉県だか群馬県だか忘れたが、とにかくその辺りに、瓦屋を営む「羽鳥家」があったという。わりと大きな瓦屋さんだったそうな。もしかしたら、その頃から「羽鳥商店」という名前だったのかもしれないので、「元祖羽鳥商店」と称したい。
そんな元祖羽鳥商店に、どこからともなく、ひとりの男が流れ着いた。「バイト急募」の張り紙でも見たのか、そのまま瓦職人として働き出したという。とにかく無類の酒好きで、ニックネームは「モリマッツァン」。名字は「森松」、名前は「折松」……!!
前後あわせて、森松 折松(もりまつ おりまつ)! 実にHIP HOP的な、リズミカルに韻(いん)をふんだ名前だったそうな。ラッパー的な手振りをしながら「オレの名前はモリマツ☆オリマツ!」と、ファンキーな自己紹介をするご先祖様が脳裏に浮かぶ。
・モリマッツァン失明の危機
名前もスゴイが、モリマッツァンの酒にまつわるエピソードもまたスゴイ。酒豪というよりはアル中で、年がら年中ガブ飲みし、当然ながら金も尽き、粗悪な酒に手を出しまくった結果、予想通り「失明の危機」に。ヤバイよヤバイよモリマッツァン!
心優しき近所の人は、「モリマッツァンの治療費カンパ」を募り、たいそうな治療費をドカンと森松にプレゼント。モリマッツァンは「ありがてぇ、ありがてぇ」と涙したという……が、その金すべてを酒に使い、けっきょく片目を失明させてしまったそうな。
なにやってんだよモリマッツァン! そんなに酒が好きなのか!! ともあれ、この失明によって彼は「独眼竜モリマツ」という強そうなキャラに進化した。だが、ここから始まるのは、とても悲しい物語だ。ハンカチ片手に、次ページ(その2)へGOである。
執筆:GO羽鳥
Photo:RocketNews24.
【コラム】ご先祖様は忍者だと信じていたのに「酒を飲み過ぎて片目を潰した流浪のラッパー」だった(その2)
元祖羽鳥商店に住み込みで働いていた瓦職人モリマッツァンは、いつしか羽鳥家の末娘と恋仲になる。やがて結婚、すぐに子供を授かった……が、出産と同時に母親は亡くなってしまったという。今ほど医療が発達していなかった時代の悲劇である。
ということで、いきなりシングルファーザーになってしまったモリマッツァン。近所の人も羽鳥家も、誰もが「アル中の独眼竜モリマツに子供を育てられるのか?」と、ハラハラドキドキしていたという。そして、娘を亡くした羽鳥家の主は、こう提案した。
「モリマッツァン、子供はウチ、羽鳥家で育てるってのはどうだろう? 養子として迎えたい」──と。
モリマッツァンの返事はモチロンOK。「ありがてぇ、ありがてぇ、よろしくおねがいしますだ」と涙しながら、どこか遠くに消えて行き、最終的には消息不明……というカッコいい流れ者ストーリーだったが、実はその後も近所に住んでいたとの仰天スクープが、つい数年前に判明した。
・イケイケドンドン羽鳥商店
それはさておき、羽鳥家に託されたモリマッツァンの息子「宇三郎(うさぶろう)」は、その後も羽鳥家の家族としてスクスクと成長。大人になると、たぐいまれなる商売センスを発揮して、元祖羽鳥商店を数倍の規模に成長させたのだという。
その宇三郎さんの息子が、私の祖父「留男(とめお)」である。祖父は戦後に “丁稚奉公” をするため上京し、西日暮里の瓦屋で修行を重ね、映画『三丁目の夕日』時代の中目黒に、瓦問屋「羽鳥商店」をオープンさせた。父親譲りの商売センスで、全盛期には目黒区の高額納税者リストに祖父の名前が載ったほど。そして父が生まれ、私が生まれ……羽鳥商店も安泰かと思いきや!
・瓦の時代の終焉とともに羽鳥商店も終了
1995年の阪神・淡路大震災を境に、屋根瓦は “屋根が重くて家がつぶれる” とのイメージがついてしまったのか、売上は徐々に低迷していった。それと同時に、地価の高騰。さらに家の両隣をパチンコ屋に挟まれて、「このまま中目黒の駅前一等地で瓦屋を続けていくのは狂気の沙汰」という状況になってしまった。
その後、世田谷区に引っ越して、右肩下がりな瓦問屋を細々と続けていたが、あまりのヒマさに親父が自給自足のための野菜を育て始めるほど瓦が売れなくなってしまったので、2006年に店じまい。私の代になる前に、瓦問屋「羽鳥商店」は、100年以上の歴史に幕をおろしたのである。世が世なら、いま私は屋根瓦を運んでいたかもしれない。
・モリマッツァンの遺伝子
ともあれ、私のご先祖様は忍者ではなかった。酒を飲み過ぎて片目を潰した、ラッパーみたいな名前を持つ、フリーダムすぎる流浪者だったのだ。そんな彼のことを、私は MAJI の MAJI でリスペクトしている。
私が酒好きなのも、わりとテキトーな性格なのも、海外をフラフラと放浪したのも、最近、片目の視力が落ち始めていることも……もしかしたらモリマッツァンの影響なのかも知れない。自由に生きたご先祖様・モリマツ☆オリマツ。忍者よりも、私は好きだ。
執筆:GO羽鳥
Photo:RocketNews24.
▼瓦って、実はメチャメチャかっこいいんだよ
▼ご先祖様に感謝