
ホラー漫画界のプリンスと呼ばれ 、トップクラスに堂々と君臨している奇才、伊藤潤二。代表作に『富江』『うずまき』『死人の恋わずらい』。超越した美、度肝をぬくアイデア、引きずりこまれる衝撃的なストーリー。彼の世界観は圧倒的である。そんな世界を作り上げる伊藤潤二とは、はたしてどのような人物なのであろうか。ホラー漫画家というベールで包まれた伊藤潤二に迫る。
取材にあたり同行した編集者が、タクシーの中でつぶやいた。「色んな漫画家さんに会って来たけれど、伊藤先生ぐらい穏やかで良い人はいない」 ……車が止まったところに、立って待ってくださっていたのは、一目でもわかるほどの“良い人”オーラが溢れる男性だった。この男性が、あのようなめくるめくホラーな世界を描く伊藤潤二先生!? 思わず目を疑ってしまう。何故このような穏やかな好印象溢れんばかりの人が、ホラーを描くようになったのだろうか?
・ホラー漫画家への道
ホラー漫画。思い浮かべるのは、グロテスクな絵、ページをめくるのもためらわれる恐ろしい展開、禍々しいストーリー。なかなか、根っからのホラー好きか、怖いもの見たさの強い人でもなければ、手にとる機会は少ないのではないだろうか。
しかし伊藤潤二のホラー漫画はただ怖い、グロい、禍々しいだけでない。その世界は一言で言えば美しく、私たちを非日常と不可思議な世界に誘ってくれる。一度読み出したら最後、その話の展開にページをめくらずにはいられないのだ。
日本のホラー漫画家というと、楳図かずおの名が浮かぶ。伊藤潤二も彼の影響を受けた一人である。幼少期、姉が持っていた楳図かずおの漫画を読むのが好きで、怪奇漫画にはまっていった。最初に自分で買った漫画は、楳図かずおの『おろち』。ストーリーは小さいからまだわからなかった。
怪奇漫画をはじめ、怪獣映画、超常現象が好きで、ウルトラシリーズの第1作であるウルトラQや鬼太郎等、ちょっと普通ではないものを観ていた。そして保育園の頃、画用紙を切り、糸で縫い付け小冊子にしたものに、はじめて怪奇漫画を書いた。
物心つく頃から、落書きが好きで、絵をよく描いていたという。中学の時には、SF作家たちのショートショートを読みSFも好きになっていき、SF小説を書くようになる。美術が得意。足は速かったが、球技などルールのあるものは覚えられず苦手だった。家でホラーを読むも、普通に外で遊んだりもした。漫画家になるなんて思ったことは全くなく、普通に会社員になるだろうと思っていた。
漫画家の前に、歯科技工士の経歴がある。勉強が苦手なため、手に職をつけようと思ったのがきっかけ。ものをつくることが好きだったのと、叔母のアドバイスにより歯科技工士の学校に進んだ。しかし実際勤めだすと、仕事は過酷で、納品のため徹夜が毎日。冷え性で、冬場は手が動かず、人よりも仕事が遅い。この仕事は向いていないんじゃないかと、転職を考えはじめた。
そんな時、創刊号から読んでいた、少女向けホラー漫画雑誌の月刊ハロウィンで楳図かずお賞が開設され、楳図先生に自分をアピールしたい! と応募を決意。仕事をしながらストーリーをあーでもない、こーでもないと考えた。この時でさえ、漫画家になろうとは思っていなかった。そして応募した作品が、佳作入選。入選した時は、来る時が来た! と震え、夢みたいだった。
それから歯科技工士と平行しながら漫画家を始めることになる。そして1990年、歯科技工士を辞め漫画家に専念する。
・富江
楳図かずお賞で佳作をとった作品こそが、デビュー作であり、後に代表作シリーズにもなる『富江』。絶世の美貌をもつ少女富江。彼女に出会う男たちは、その魅力に取り憑かれ、いつしか彼女を殺しバラバラにしたいという欲求にかられる。そしてバラバラにされた富江は、再生をはじめ、また新たな富江が生まれる。永遠に繰り返される富江のストーリーは、8回の映画化も果たしている。
私自身も実はこの富江の魅力に取り憑かれ、出会ってから日々富江になりたいと強く願ってきた。超越した存在、富江。伊藤潤二にとって富江は一体なんなのであろう。
……「大事な存在」。サインをする時はいつも富江を描く程、描き慣れた、まさに彼の漫画家としてのパートナーである。実際に私の頂いたサインも富江だった!
類に他を許さない美貌と傲慢な性格。この強いキャラクターは、モデルがいるのでは? と思っていたのだが、実は“死んだ人が何喰わぬ顔で再び現れる”というシチュエーションから生まれている。
中学の時に同級生が亡くなり、今まで一緒に勉強していた人が急にいなくなるのが不思議だった。いつか何喰わぬ顔であらわれる気がしたという。その不可思議さを描きたいと思い、ある日殺された富江がひょっこり現れるという話を書いた。
富江シリーズを続けて描くことになったのは、歯科技工士の先輩のダメ出しにある。美人で傲慢なゆえ嫌われていた富江、彼女を殺したのは、実は担任とクラスメイト全員なのだ! だからこそ死んだ富江がひょっこり現れたのには、クラスメイトは恐怖に顔を歪ませた。
しかしこの“全員が殺人に加担する動機が弱い”という先輩のダメ出しにより、動機を補完するためにシリーズ化していく。そしてそこにこそ、好きだ、殺したい、バラバラにしたい、という男たちの欲求が生まれてくることになる。バラバラになればなるほど、再生して来る富江。富江のストーリーが終わることはない。
2000年、20作品目で一旦終わりを迎えてから、沈黙を守っている富江。しかし描かざるをえなくなったら描くという伊藤氏の発言に、一富江ファンである私の胸は高鳴った。是非またあの超越した存在、富江に会いたいと切に願う。
・ホラー漫画家の恋愛
伊藤潤二作品での恋愛は悲哀なものが多い。それゆえの情念やらが具現化して恐怖になったり、はたまた崇拝的な気持ちが行き過ぎて狂気になったり、救われないものばかりである。これは伊藤潤二自らの恋愛の経験なのかもしれない! と勘ぐっていたのだが、見事に外れてしまった。伊藤氏にとっての恋愛とは、心が落ち着くもの。彼にとってプラスのイメージでしかない。
では恋愛の思い出は? と問いかけると、若い時は仕事ばかりだったとはにかむ。そして自身の恋愛経験は作品には反映していないと言う。好きなタイプは富江とは対照的な優しい人。そうしないと振り回されて仕事ができなくなってしまうからだ。
そんな伊藤氏は、2006年に結婚されている。お相手はイラストレーターの石黒亜矢子さん。出会いは同業者の集まりかと思いきや意外なことに、合コンだという。淋しそうにしている伊藤氏を知り合いのデザイナーが気遣い、セッティングしてくれたそうだ。その席で、飼い猫の写真を携帯で見せながら、猫の可愛さについて語る亜矢子さんを可愛く感じたという。
最初のデートは、奥様が好きな浅草。当時、岐阜に住んでいたが、デートの為に上京した。なんとも素敵なエピソードである。月日は流れ、奥様の方から一緒に住もうというのをきっかけに、ちょうど新居を建てていたので、結婚へのはこびとなった。今は、娘が2人いて、4歳の娘はおしゃま、2歳の娘は自分似、もう可愛くて仕方ないという。自身の漫画については、まだ幼いうちはあまり見せないようにしている。
一方、奥様に伊藤氏の印象について聞いてみると、第一印象はうすい。とても穏やかで、締め切り間際になると漫画家はピリピリするというが、伊藤氏は口数が少なくなる程度。父親としても優しくて、娘2人ともパパが大好き。日曜大工が得意で、やはり手先は器用。なんとも理想的で素敵な旦那様である。
・美とホラー
「美」。伊藤潤二の作品はこの一言に尽きる。その超越し、異常なまでの美の世界は、読者たちにこの時点で恐怖を覚えさせる。それを見事なまでに具現化する画力。伊藤作品は、その線から全ての美がなっているといえる。伊藤潤二にとっての「美」とは一体なんなのだろう。
美少女を描く理由。それは挑戦であるという。昔から美少女が得意な漫画家がいて、代表格は吾妻ひでお、あだち充、楳図かずお。彼らに倣い、自分もどのくらい美少女を描けるか挑戦してみたかった。美しいか醜いか。楳図かずおのテーマである「美と醜」の影響が大きく、この両極端を描くことにやりがいがある。美とグロテスクの世界。美しい、考えると異常なことかもしれない。
ホラーとは非日常なものを描いているからこそ、その微妙なズレに恐怖を感じる。伊藤氏にとってのリアルとは、そのような非日常な世界なのかと思いきや、普通の人と変わらない生活をしているという。漫画を描くにあたっては、日頃ふと思いついたアイデアをノートに書き連ねて、使えそうなものを膨らます。そのイメージを一番効果的にみせるにはどうしたらいいか考え、描く段階では理論的にストーリーを組み立てる。怖いことだけでなく、不思議なものなどに日々アンテナをはり、ホラーにつなげているのだ。
自身の作品で怖いものは『悪魔の理論』。ある女子高生が完成された死の理論を聞いて、自ら死を選ぶという短編だ。怖いと思うことは稀にあるが、その他の作品は別段怖いとは思わない。
・ホラー漫画家として
漫画家になってよかったことは、今まで描いて来た漫画が形になり財産となったこと。そして読んでくれる読者が面白がってくれること。読者がいないと漫画は続けられない。そしてたくさんの人に出会えたこと。ホラー漫画家の古賀新一と御茶漬海苔との3人で、それぞれ自身の作品を、脚本・監督し映画化したプロジェクト“古潤茶”。
この中の、伊藤潤二の作品は『富夫』。一見富江の男版と思いきや、そうではなく新たなストーリーである。この古潤茶で、幼少期から愛読していた古賀新一と実際に出会えたことも漫画家でよかったことのひとつである。
伊藤氏は現在、小学館ビッグコミックにて『憂国のラスプーチン』を連載中。作画として参加するのは初めてである。慣れない政治漫画のため、その都度調べる。昨年には、モスクワへと取材旅行した。伊藤潤二の絵の魅力が存分に活かされた、ホラーから飛び出した新境地の作品である。
今後の展望としては、映画をもう少しやりたい。しかし古潤茶で、やはりそれぞれの最大の魅力は絵にあることを感じた。だからこそ、ホラー漫画をもっともっと描いて行きたい。結婚し、子供が生まれ、残酷なことが描きにくくなった。しかしそうなってしまったらおしまい。
これからは、なるべく残酷なものを描いていきたい。そして作ることが好きなので、プライベートではなんでもいいから作りたい。特に、既に全巻集めた『週刊タイタニック』と、今集めている『週刊零戦をつくる』を、時間が出来たら是非とりくみたい。
最後にアトリエにおいてあったプリキュアの魔法の杖を見せてくれた。娘にせがまれて作ったという。「今日、家に持って帰って、渡すんです」ホラーとはかけ離れた優しい笑顔を浮かべる伊藤潤二。家族の愛に包まれた伊藤氏の描く、新たなホラーの世界が楽しみでならない。
(取材・写真・文=千絵ノムラ)
(C) Junji Ito / 朝日新聞出版
(C) Masaru Sato・Junji Ito・Takashi Nagasaki / 小学館ビッグコミック
千絵ノムラ




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