
ドラクエが2026年5月27日に40周年を迎えた。そう、シリーズ1作目『ドラゴンクエスト』が発売されたのは1986年の今日なのである。シリーズ40周年というだけでなく、今も新作が発表され最前線であり続けているのは本当に凄い。
40代50代が中心のロケットニュース24編集部はまさしく直撃世代。そんなわけで、編集部員にドラクエの思い出を聞いてみたら「あの頃のドラクエってそうだったよなあ」って思い出が頻出した。思わず「あるある」と頷いた思い出の数々は以下の通り。
・中澤星児(44歳)の思い出
「リアタイで買いに行ったのは6なんだけど、5まで大行列のニュースをテレビで観てて、祭に参加できるのがめっちゃ楽しみだった。3年ぶりの発売は当時としては期間が長く、ファミ通で新しい設定が更新される度に読み込んで。
で、発売日当日のオープン前に並びに行ったら、田舎すぎてオープン前行列は僕含めて3人で、しかももう1人は近所の友達だった。でも、凄い良い思い出で6が一番好き。魔法剣とか『ロトの紋章』で憧れてた技が、自分で使えるようになったのが最高だった」
──行列3人は振り返るとシュールだった。当時は雑誌しか情報がなくて、職業性が復活するとか、上級職がいっぱいあるとかの小出しの開発画面を穴が空くほど眺めたものである。
・佐藤英典(52歳)の思い出
「俺は1からで、そもそもRPGの概念がなかった時代なんだ。マリオのような横スクロールのアクションゲームが主流の時代。そこに突然出てきたRPG。レベル上げの概念すら理解していなかったころ。何をして遊ぶのか最初はわからなかったけど、すぐに理解して、1に弟も友達も、まあクラス中みんなハマるわな。
2がエグくて、面白いしやり甲斐もあったけど、復活の呪文が長くて間違うんだよ。それでやり直すという悲惨な経験をみんなしてると思う。「呪文が違います」のあの音楽はトラウマとして刻まれている。
3はすでに社会現象で俺も高校生だった。どうしても買いたくて、発売日にゲーム販売店の近くの友達の家に泊めてもらったのに、早朝に行ったらもう無理で、その列の先頭に部活の先輩がいたんだ。その人がうれしそうに「おせえな」みたいなこと言って、めちゃくちゃむかついた記憶がある。
1、2、3ともにサントラを買ったんじゃないかな。中学のときにブラスバンドだったから曲を練習した気がする。トランペットで。あとは「ぱふぱふ」には子ども心に興奮したな。「夕べはおたのしみでしたね」の意味も知らずに」
──2の復活の呪文あるある~! それにしても、友達の家に泊めてもらってまで早朝に買いに行き買えないというのはリアタイ勢の盛り上がりが感じられるエピソード。買えた先輩がマウント取ってくることまで含めて当時ならではと言えるかもしれない。あれ買えたの凄いみたいな空気あった気がする。
・原田たかし(42歳)の思い出
「物心ついた頃からドラクエが近くにあって、もはや人生そのものと言ってもいいくらい。特にハマったのは4&5で、BGMを聴くだけでも当時の記憶が蘇ってくる。
シリーズは11までプレイしていて、スマホのウォークは継続中。最近は7のリメイク(リイマジンド)をやろうかと考えているが、石板に苦労した当時の思い出が……。
ってな感じでドラクエをやり続けているし、もちろんこれからも。祝40周年!」
──ドラクエは人生。現在進行形でドラクエにハマり続けている原田の言葉は重かった。そんな原田でも7の石板には苦労したという。ちなみに、私は7は挫折しました。
・P.K.サンジュン(48歳)の思い出
「実はドラクエを始めたのはかなり遅い。周りの友達はかなりやってたけど俺は『ドラクエⅤ 天空の花嫁』でドラクエデビューした。
その後は9くらいまでやってるけど、やっぱり天空の花嫁が1番印象深い。パパスのくだりもそうだし、もちろんビアンカを嫁にした。
すれ違い通信ができる9も良かったけど、どれか1つと言われたらやっぱり天空の花嫁が好き。ドラクエは音楽がいいよね~」
──まあ、ビアンカだよな。それにしても勇者の父が自分という5のシステムは今考えても画期的であった。冒険だけではなく、人生というものにスポットライトを当てたストーリーとなっているところが、5を不朽の名作たらしめた要因と言えよう。
・Yoshio(44歳)の思い出
「当時はドラクエは3と5しかやったことなかった。特に3をやり込んだ記憶が強く学校から速攻で帰ってプレイしてた。家にはテレビが1つしかなく、夜は父が野球放送でテレビ独占するから風呂に入ってる時間で続きをやってた。
ちなみにちょっと話はそれるけど、家のテレビが壊れて父と2人でアキバに買いに行った。そこで目を付けたのがスーパーファミコン内蔵テレビ。それを買ってもらって家に帰ったら、姉たちが「なんでそんなの買ってきたのよ、スーファミ壊れたらテレビごと修理で持っていかれるのよ!」と私と父は怒られた。
しかしその後も一切壊れず、そのおかげでドラクエ5も楽しめた。感謝」
──スーパーファミコン内蔵テレビ持ってたのはセレブ。そして、そんな家庭でも親父の野球とファミコンのバトルが発生していたというのが味わい深い。あの頃はみんなそうだったよなあ。続いては3人連続で紹介しよう。
・古沢崇道(41歳)の思い出
「小学校の低学年の頃、私は父の親戚・よっちゃんからドラクエ5(スーファミ版)を借りて遊んでいた。よっちゃんはすでにゲームをクリア済み。主人公や仲間はレベル99で強いモンスターを何匹もゲットしていて、相当やりこんだセーブデータが残っていた。
だが、あるとき私が誤ってカセットを落としてしまい、よっちゃんのセーブデータだけがブッ飛んだ。よっちゃんがあれだけ極め尽くした「ぼうけんのしょ」を一瞬で消してしまった。私は顔面蒼白。自分に呪文「ニフラム」をかけて私も世界から消えたいと思ったほど、マジで経験したことのない絶望を味わった。
その後、よっちゃんに恐る恐る謝罪したところ、怒るどころか「大丈夫、気にしないで」と言って優しくフォローしてくれたのだ。しかも、ドラクエの世界観をベースにした漫画『ロトの紋章』も貸してくれるという神対応。
私にとってドラクエは遊びの楽しさだけでなく、人の優しさも教えてくれた大事な教科書なのだ」
・GO羽鳥(46歳)の思い出
「中3の時、ドラクエ5を中古で買った。ビアンカと結婚し、子供が産まれ……るイベントの時、画面が黒くブラックアウトして「オギャーオギャー」という効果音がエンドレスで鳴り続けたまま、一向に進展しなかった。おかしいと思いリセットボタンを押しながら電源を落とすとセーブデータが消えていた……。
かなり心は折れていたが、若さもあって、再び1からやり直した。またビアンカと結婚し、子供が産まれ……の「暗転オギャー」から、やはり一向に進展しない。またセーブデータが消えることを恐れ、いつか進展することを願いながら、そのまま電源をつけっぱなしにしたが、一晩経っても進展せず黒い画面で「オギャー、オギャー」のエンドレス。
どうしようもないので、またリセットを押しながら電源を切り、再び電源を入れると……またもセーブデータが消えていた。結局、私のドラクエ5は、子供が産まれなかった。なので話も、子供が産まる寸前までしか知らない」
・あひるねこ(40歳)の思い出
「初めてのドラクエは、小学4年生の時に発売された6だった。そもそもRPG自体あまり経験がなかった自分にとって、ドラクエはかなり難しかった記憶がある。
途中、詳しい友達に聞いたりしながら何とか進めていたのだが、ある日とんでもない事件が。
ラスボス直前、たしか嘆きの牢獄あたりで、なんとすべてのセーブデータが消えたのだ。これがいかに「直前の出来事」であったかは、6をプレイした人なら分かるはず。
しかも「おきのどくですが……」という例のメッセージすらなし。無慈悲の初期化である。
あれこそ私が人生で初めて味わった世界の終わりだったかもしれない。その後、心が折れた私はソフトを封印。初めて全クリしたのは中学3年生の時だった」
──セーブデータが消える絶望あるー! あのBGMがトラウマじゃない人はいないのではないだろうか。古沢はそこから人の優しさを学び、GO羽鳥は諦めを学び、あひるねこは世界の終わりを知った。まさしく、全員が一歩大人の階段を上る瞬間である。
・良い時代だった
そう考えると、ドラクエに育てられたと言っても過言ではないかもしれない。そもそも、生まれも育ちも全然違う我々にこれだけ共通する原体験があるという時点で凄いことだ。ドラクエのコンテンツ力はもちろん、良い時代だったとも思う。
そんなドラクエ40周年を祝し、今夜、YouTubeのスクウェア・エニックス公式チャンネルでは生配信が20時から予定されている。また、「ドラゴンクエストからのお知らせ」という動画のプレミア公開も22時から予定されており、ネットではシリーズ最新作『ドラクエ12』の続報に注目が集まっている。
35周年の際に制作が発表された『ドラゴンクエストXII 選ばれし運命の炎』がついに来るのか? ネット、スマホ、YouTube、SNS……あの頃と随分時代は変わったけど相変わらずお祭りになってるドラクエは本当に偉大だ。40周年おめでとうございます!
参考リンク:ドラゴンクエスト40周年特設サイト
執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.