広島に来たら100%訪れるスポット、原爆ドーム。そして平和記念資料館。これは間違いないだろう。そもそも日本全国の中学校や高校の修学旅行の行き先として、長崎と広島は超定番。全日本人の50%は大学までに自動的に原爆ドームに来ているのではなかろうか。
ちなみに私は長崎だったパターンだが、長崎でも比較例として広島の原爆投下に関する話を聞かされた。人類史で2例(2022年10月現在)しかないしな。恐らく広島行きのパターンでも長崎の例をセットで学ぶと思われる。
原爆関連の歴史は日本人の常識だろ……と思っていたのだが、まあ、世の中意外とそうでもないもよう。先日広島で被爆遺産をめぐるツアーに参加したのだが、知っているつもりでも非常に興味深かった!
・ピースツアー
ちなみにこれは広島県主催のプレスツアーの一環で、参加したのは株式会社mintによる「sokoiko! サイクリングツアー」が提供する「Roots of Hiroshima」というコースの一部。原爆投下前の旧中島本町の事情などの解説をうけつつ、電動自転車で市内の被爆遺産を見て回るピースツアーだ。
平和記念公園に集合し、元安橋にて原爆ドームを眺めながら解説スタート。ちなみに、サービスの利用者の多くは外国人の観光客だという。
なかなか日本人であらためてツアーで学ぼう……みたいな気にはなりにくいだろうしな。中学・高校の時にやったしみたいな。そういうのは絶対あると思う。その辺も含めて、いざ体験してみてどうなのかという点に注視していきたい。
・そこは盲点
さて、平和教育が長崎なパターンだった私が原爆ドームを生で見るのは、春に続いてこれが2回目。広島平和記念資料館には入ったことが無い。とはいえ長崎原爆資料館には入ったし、それなりに当時の状況は知識として把握しているつもりだ。
1945年8月6日の深夜にテアニン島を発った6機のB-29のうち、4機が広島への原爆投下に参加。エノラ・ゲイ号だけがいきなり広島入りしてきたイメージが世間では強い気がするが、実際には気象観測機のストレートフラッシュ号が先に天候をチェックしにきている。
その後に投下役のエノラ・ゲイ号と、科学的観測をするグレート・アーティスト号(広島での乗員が、長崎ではボックスカー号にて投下役を担った)、撮影担当の91号がやってきたという流れ。
その他の学校の歴史資料集やら、毎年の追悼式典のたびに新聞などの特集記事に書かれるような情報は把握しているつもりだ。特に専門家を目指すわけでもなければ、その程度で十分だろう。
ぶっちゃけ今さら教わることは……と思っていたが、ツアーでの解説には、投下前の旧中島本町一帯がどういう場所だったのかという情報が含まれていた。
おっと、それは全く知らない情報だ。原爆ドームが物産館的な施設だったのは知っているが、今は公園になっている周辺の土地がどうだったのかは意識を向けたことが無かった。
住宅とかあったんじゃね? みたいな漠然としたイメージは抱いていたが、特に何のソースにも基づいていない。聞くと一帯は商店がぎっしりと並ぶ、かなり賑わいのある繁華街だったそうだ。大きな川が流れており、水運的にも人と物資が集まる条件が揃っていたというのもあったもよう。
投下時には多くの商店や娯楽施設は閉まっていただろう。強制疎開も行われていたので戦前の賑わいではなかったと思われる。とはいえ、かなりの繁華街だったと知るとイメージにリアリティが増す。
また、ネタバレ的になるので詳しくは書かないが、平和公園やその周辺の街づくりに見ることができる、ちょっとしたトリビア的なものも素直に「へぇー」となった。
・原爆遺産巡り
この辺りで電動自転車に乗り、平和公園を出ることに。ここからは、市内に点在する原爆遺産を見て回る流れだ。原爆遺産とは、要は被爆した建築物などで現在も残っているもののこと。
最初にやってきたのは原爆病院前。
ここには旧建物の壁の一部が保存されている。爆風で歪んだ窓枠を見ることができる。
裏からはこんな感じ。
近くには割れたガラス片がめり込みまくった壁も。
・広島大学
続いては、近隣住民の憩いの場「東千田公園」。
この公園の先には旧広島大学理学部1号館がある。
かなりデカい建物だ。戦前は広島文理大学で、戦時中は施設の一部が中国地方総監府に接収されていた。原爆による完全な倒壊は免れたため、修復されて戦後は広島大学の理学部1号館に転用されたのだ。今は遺構として残されているが、立ち入りは禁止されているぞ。
・広電
最後は広島電鉄(広電)の車庫。
広電は被爆した路面電車を現役で使用している。被爆電車などと呼ばれており、相当な年代物だが普通に走っている。なんなら広島市民は毎朝乗っている可能性。
普通に日々走っている被爆電車は2つあり、1つがこの652号車。
もう1つが651号車。この時は偶然どちらも見えるところに停まっていた。
広電には被爆建物も残っている。電車の後ろにわずかに見えるだろう。少し前までは事務所として使っていたものもあるそうだが、現在は耐震性などの問題で使用されておらず、ほぼ倉庫みたいな感じとのこと。
・巨大な殉職碑と育った樹木
最後は平和大通りにある巨大な建造物の解説を受けて終了。
こちらは広島市医師会原爆殉職碑で、「祈りの手」という。
今は記念碑よりも大きく育った木々に埋もれているが、建造当時は全く木など生えておらず、相当に目立っていたそう。それが植樹によってこうも目立たなくなったわけだ。
せっかくの殉職碑が木でろくに見えないというのはあるが、実は周囲の木々もまた復興の象徴。原爆投下で「75年間は草木も生えぬ」などと言われたのは有名な話。しかし今ではこの巨大な殉職碑を覆い隠すほどに木が育つまでになったという見方もできる。
・興味深い
通常のツアーの場合はもっといろいろ回るそうだが、今回は短縮版ということでこんな感じ。平和記念公園や資料館だけであれば、はっきり言ってパンフ片手に自分で見て回ればいいと思う。
しかし、市内のこうした細かいスポットを解説と共に回るのは、およそ日本で平均的な水準の平和教育を受けている日本人にとっても、思っていた以上に有益だと感じた。
県外からの観光客だと、市内に点在する細かい遺構をめぐる旅程というのは、よほどフットワークが軽くないとハードルが高いだろう。たぶん私も今回の機会が無ければ見に来ることは無かったと思われる。土地感覚も無いし。
そして何より、大人になってからあらためて学び直すというのが良かったと思う。ティーンエイジャーの頃じゃなく、アラサーとかアラフォーになってからだから良かったという側面。
不謹慎は百も承知だが、しかし現実的な話として、中学とか高校生の頃に平和教育と言われても「かったりーなぁ」「つまんねぇ」みたいなフィーリングは、ぶっちゃけあったと思うのだ。
別の学校に行った友人の修学旅行先が沖縄や北海道だと、マジでうらやましいみたいなそういう。身内に被爆二世がいたり、より幼少から教育を受けている地元民とかなら話は別かもしれないが、他県出身・在住だとそんなものでしょ?
知識的な面では(レポート提出等が課されていたりして)それなりに身につけるだろうが、精神的にも真剣に向き合う中高生が多数派とは思えない。
少なくとも私が長崎に行ったときは、平和公園関連はメモだけとって軽く流し、市内探索とハウステンボスに全力を注いだ。しかし、こうして大人になってからだと、子供の頃より豊富な歴史の知識や世界情勢への理解などもあり、自然に真剣さが増す。
大人になってからのピースツアー参加で、あらためての平和教育。けっこう良いと思います。
参考リンク:ひろしま公式観光サイト、sokoiko!
執筆&Photo:江川資具