ロケットニュース24

【情熱コラム】踊れ! オッサン

2020年2月16日

人生30年くらい生きていると、大体自分の向き不向きはわかるものだ。しゃべり上手な人は営業に向いていたり、自分の世界に没頭できる人はモノづくりに向いていたり。私(佐藤)自身、何かが得意ということはなかったが、運動に向いていないことは良くわかっていた。

ところが現在ポールダンスを始めて3年が経過し、いまだに得意ではないけど、身体を動かすことが好きになった。最近になって、さらに身体を動かすことへの関心が高まり、ダンスって良いものだなと思うようになった。そこであえて言いたい。同世代、それもきっと関心がないであろう人に向けて言いたい。踊れ! オッサン。音楽にのせて身体を動かすのはいいぞ!!


私がダンスを語るのはおこがましい。ポールダンスをやっているとはいえ、私の動きは「ダンス」と呼べるような代物ではないと、自分で思っているからだ。しかし音楽にのせて身体を動かすことを、ほかに何と呼んで良いのかわからないので、ダンスと言わせて頂こう。せめて「踊り」と言わせてもらう。


・「美」を遠ざけた

わが人生に踊りは無縁のものだった。もっと広く言うなら、「美」に対する関心が著しく低かった。自分にはふさわしくないという思いから、美しくある理由を見出すことができなかった。本当は深いところで憧れがあったのだろう。照れや気恥ずかしさの方が上回ってしまうことを知っていたから、あえて無視することに決めた。きっと高校生くらいの多感な時期の無意識の決意だ。

運動が苦手で、何をやるのにもブサイク。走れば同級生に笑われるほど、何をやるのも不格好。球技なんてもってのほかだ。チームの足を引っ張るだけで、参加するだけで迷惑な存在。そんな人間が、立ち居振る舞いで美しくあるなんて、不可能なこと。そう思っていた。それならいっそ、自分には向かない、縁のないものだ。そう決めつけてしまえば、悔しい思いさえしなくなった。

そんな人生だった。43歳までは。


・誰とも競う必要がない

2016年にポールダンスを始めると、できないなりに成長することに気が付いた。そうか、運動とは、自分のペースでやっていいのか。学生時代のように人と競い必要もないのか。悔しい思いは、「恥ずかしい」と感じるから生まれるもので、人と自分を比べて勝ち負けを決めなければ、全然悔しくない。むしろ、自分で決めたことを自分でできないことの方がずっと悔しい。そうか、自分で決めて自分でやるかやらないかしかないんだな。

そんな風に思ったら、すべては、自分で決めているだけだと気づいた。誰にも強要されていないんだから、自分の決めたようにやればいい。運動に対する考え方が変わった。ただポールのトリック(技)に挑んでいる時は、それでよかった。


・ダンスはムリだ

さらに考え方を変える機会が訪れる。ポールの大会や発表会に出るには、演技を決めなくてはいけない。3~4分の音楽に合わせて演技を行う訳だけど、ここで踊りとぶつかってしまった。ただ技をやるだけではなく、優美に技を見せなければいけない。それも基本は音楽に合わせてだ。

バラエティ番組アメトーークの『踊りたくない芸人』を見たことあるだろうか? あれだ。芸人さんがやるのを見ている分には楽しいが、「じゃあ自分でやってごらん」と言われたら、私が笑われる方だ。そう考えてから、あれを見てあまり笑えなくなった。踊りは難しい。オイルの切れたロボットみたいに、固い身体を振り回して、音楽を追いかけるのがやっとだ。

踊らずに演技する方法はないかと考えて、歌舞伎や空手の動きをアレンジして、それっぽく見せようとしたが、根本的な解決にならなかった。身体を動かすのは好きになったけど、ダンスはムリだ……。


・伝える

苦手意識を抱えたまま、何度かスタジオの発表会に出てみた。毎回自分なりに課題を設け、時にスタジオの先生に振り付けをしてもらいながら、半年に1度の発表会に参加していると、自分には欠落したものがあるとわかった。


それは「伝える気持ち」


技術うんぬんはさておき、毎回20組前後の参加者の皆さんの演技を見ていると、訴えかけてくるものがある。喜びや悲しみに代表されるような感情が、ストレートに垣間見える。物語を紡ぐようにして演技を構成している人もいる。

「できるできない」からさらに上の「伝えたい」という意志を感じる。動きのなかで表現をする、それが踊るということか。これがダンスのできることなのか。


・言葉では伝わらないものを

普段しゃべったり書いたりして伝えることばっかりで、身体で表現することに思い至らなかった。ただでさえ運動嫌いだった自分に、踊りで伝えるその選択肢は1ミリも浮かばなかった。でもできる、言葉を越えた表現が、踊り・動きならできる。

目線を上げて前方を見れば、「希望」を。強く拳を握れば「怒り」や「決意」を。また、胸元に握り拳をあてがえば「悲しみ」の色を表すこともできる。

文字や言葉では伝えきれない物事を、大小織り交ぜた動きで表現できる。なんて自由なんだろう。言葉では「嬉しい」としか言えないことが、嬉しいを表す動きは限りなくある。しかもそれが人によって異なっても良い。個性が生きるのもダンスの面白いところだ。


・踊れ! 自分なりの表現を

改めて私と同世代、少なくともダンスと無縁だと思っていた人たちに伝えたい。もっと言うなら、私と同じオッサンたちに言いたい。踊るのもいいぞ! 筋トレも良いけど、ただ自分と向き合うだけだと、飽きることもあるしモチベーションも上がり辛い。それならダンスという選択肢もありだ。自己表現が豊かになるし、自分なりの表現を見出した時は楽しい!

どうせ誰も期待していないんだから、やるなら思い切り。踊れ! オッサン!! 新しい表現の術を手に入れろ。SNSで辟易としているなら、身体で自分を表してみろ。伝える方法は言葉だけじゃない。あなたにしかない表現を見いだせた時、きっと輝いているはずだ。


執筆:佐藤英典
Photo:Rocketnews24
[ この記事の英語版はこちら / Read in English ]

モバイルバージョンを終了