誰にだって、苦手なものはある。しかし、はっきりとした根拠をもって「苦手」と判断していることは意外と少ない。というか、実際のところフワフワした曖昧な理由で「嫌い」と主張しているケースがほとんど……と思うのだがどうだろう。
食べ物の好き嫌いひとつ取ってもそうだ。たとえば、私は長年『イカスミのパスタ』が苦手だった。正確には、苦手だと思っていた。その主な理由は「いくら何でも黒すぎる」というものだったが、今から思えばこれほど意味の分からない言い分はない。
なぜ私は、あんな馬鹿げた理由で、『イカスミのパスタ』を食わず嫌いしていたのか……。この心地よい後悔について以下で紹介したい。
・『イカスミのパスタ』への偏見
私が『イカスミのパスタ』を避けていたもう1つの理由、というか偏見は匂いである。きっとクサいんだろうと。イカ自体、味は美味しくても匂いを嗅ぐとキツいんだから、そのスミをベースにしたソースはヤバいだろうと。絶対にクセが強いんだろうと。
そのクセが一部の人にウケたおかげで『イカスミのパスタ』は知名度を獲得しているが、自分の好みではないだろうと。“からすみ” や “このわた” と同じようなもんだろうと。つまるところ『イカスミのパスタ』は、酒飲みが好きなヤツだろうと。
だから、アルコールに弱い自分には向かないだろうと。ちなみに、こっちは今だにハンバーグと鶏の唐揚げが大好きやぞと。そんな味覚の自分に、『イカスミのパスタ』はハードル高すぎるやろと。
──ざっと以上である。
ご覧の通り、『イカスミのパスタ』に関して、ポジティブな要素は1つもない。だから、私がイタリアのベネチアを訪れ、「名物の1つがイカスミのパスタ」と知ったときは正直がっかりした。「よりによってそれかよ」って感じだ。
・空気に流されて
しかし……。忘れもしないベネチア滞在の最終日。入ったレストランで周りを見渡すと、たまたま隣にいたテーブルのグループが全員 “黒いパスタ” を食べていたのだ。店員さんに聞けば、『イカスミのパスタ』は店のオススメメニューで、多くの人が頼むという。
え? そんなに美味しいの? と気になったところに、店員さんがプッシュしてくる。でもなぁ。イカスミだしなぁと迷っている私を見て、今度は隣のお客さんが「めちゃくちゃ美味いから!」的なことを言ってくるので、私は半ば仕方なく『イカスミのパスタ』を注文した。つまり、私が『イカスミのパスタ』を頼んだ理由は空気に流されたからである。
・匂いが
やがてやって来た『イカスミのパスタ』。分かってはいたが、真っ黒だ。容赦のない黒さに若干気落ちしながらも、匂いを嗅いだ瞬間……!
私は混乱した。漆黒の物体から、「絶対に美味い」と確信する匂いが放たれていたからである。それはちょっと奇妙な感覚と言っていい。視覚は絶望しているのに、嗅覚は狂喜しているとでも言おうか。
その嗅覚に後押しされるまま、恐る恐る食べてみたところ……
……
……
……
……
何も喋れなかった。隣のテーブルのお客さんが「な! 美味いだろう?」的な視線を向けてきたので、「うん」と返したが、それ以外に何かを言う余裕なんてなかった。大げさに言えば、目の前にある食べ物を口の中に送り込むこと以外、何もしたくない気分。つまるところ……
めちゃくちゃ美味い!
このコクは何だろう? 魚介だけでなくチーズも加えられているのだうか? 塩味の加減といい、イカの絶妙な主張具合といい、すべてのバランスが完璧だ。イカの臭みなんて一切ない。むしろ旨味しかない。旨味のかたまり!
・手のひら返し
もちろん、日本でも「味噌ラーメン」の味が店によって異なるように、すべての『イカスミのパスタ』が上のような味というワケではない。たまたま私が入った店がアタリだった可能性もあるし、中にはマズい店だってあるだろう。
それは頭で分かっているのだが……。あの一瞬で、私の『イカスミのパスタ』への偏見が崩れたのもまた事実。手首がねじれるほどの勢いで、手の平を返してしまったのだ。それにしても、あの黒い物体があんなに繊細な味だったなんて……今思い出すだけでも……。
・訪れた飲食店の詳細データ
店名 Vecia Cavana
住所 Rio Tera Santi Apostoli Cannaregio 4624 | Zona Strada Nova, 30121 Venice, Italy
時間 12:00〜15:00 / 19:00〜22:30
執筆:和才雄一郎
Photo:RocketNews24.
▼あまりの衝撃で、これ以外の写真を撮ってなかったことは後悔しました(;_;)