もうかれこれ何年も図書館を利用していないが、図書館と聞いて思い出すのは鼻クソである。どういうわけだか、幼少時の私が借りていた本(うんこ関係)には、かなりの高確率で誰かしらの鼻クソが付着していたのだ。幼心に、許せなかった。
しかしながら、犯人の気持ちも少しは理解できる。いいや、少しどころか、大きく理解できてしまう。というのも、私自身も幼少時、本に鼻クソを付けるのが趣味……というか、ある意味、ライフワークになっていた部分もあるからだ。
・発売日に買った『耳をすませば』
私の中での終身名誉鼻クソ本として認定されているのが、かの有名な青春漫画『耳をすませば』である。月刊りぼんを愛読していた私は、あっという間に同作品のファンとなり、発売日と同時に単行本(初版)を購入した。小3くらいの頃だった。
それはもう宝物のように何度も何度も読み返した。ページはボロボロ。そしていつしかピカピカのカバーが外れ、「りぼんマスコットコミックス」特有の、濃いピンク色の本となった。よーく見ないと、それが『耳をすませば』だとはわからない。
しかし、それでもまだまだ読み返す……うちに、いつしか鼻クソを付けてしまった。どんなシーンのページだかは覚えていないが、腹を立てたのかも不明だが、とにかく小3の私は『耳をすませば』のページに、ひとつの鼻クソをくっつけた。
それからというもの、どういうわけだか『耳をすませば』を読むたびに、無性に鼻クソを付けたくなった。もちろん付けた。もはや中毒というか、条件反射というか、私の中で『耳をすませば』イコール「鼻クソを付ける」になっていった。
耳をすませば鼻をほじり、鼻をほじれば耳をすまし……と、小3ながら忙しい毎日をおくり、そのうち耳をすましているのか鼻をほじっているのか分からなくなることもしばしば。いわば、『耳をすませば』に鼻クソを付けるのにハマっていたのだ。
繰り返し繰り返し、増え続ける鼻クソのページ。ショボい鼻クソもあれば、たま〜に激レア「鼻毛付きの鼻クソ(小3なのに!)」もあったりして、鼻クソ採集に飽きることはなかった。ページが「ボコッ」と膨らむくらい大きな鼻クソもあった。
その後も、ナイスな鼻クソがほじれた時は、わざわざ『耳をすませば』を取り出して、まっさらのページにはりつけた。こうして私の『耳をすませば(柊あおい)』は、私の鼻クソ図鑑『鼻をほじれば(羽鳥ごう)』になっていったのである。
さすがに高学年になるともう大人なので鼻クソ付けはしなくなったが、数年かけて完成させた『鼻をほじれば』は、さながら自分史のようだった。この鼻クソを付けた時は何歳で、どんな気持ちだった……と、わりとしっかりと覚えているのだ。
残念ながら、『鼻をほじれば』は高校1年の冬に捨ててしまったのだが(それまでとっといたのかよ)、今でもテレビで映画『耳をすませば』が放送されていると、いつかの鼻クソを思い出す。同作品が連載開始した夏の空気も、思い出すのだ。
しかし、他人の鼻クソとなれば話は別。まったくもって不快でしかない。別に鼻クソを本に付けることを止(と)めはしないが、鼻クソ付けが許されるのは自分の本だけ。鼻クソは人に見せるものではない。鼻クソは、自分だけで楽しむものなのである。
執筆:GO羽鳥
Photo:RocketNews24.