散乱した教科書とイス、寝そべる女子学生たち。アジサイの陰に隠れて身を寄せあう少女と少女。この写真を見た人々は、何を思い、何を考えるだろう。女子中高生を中心に注目を集めている、新鋭写真家・長谷川圭佑。彼の作品が持つ魅力は一体何なのだろう。
・好きなのを撮るだけ
写真家・長谷川圭佑が撮る写真の対象は “少女” だ。女子学生をモデルにした写真を撮ること自体は、特別珍しいものではない。しかし、長谷川が写す “少女” たちは、いわゆる女子学生とは異なる。元気!! 明るい!! 楽しい!! といったパワフルさやイマドキ感はなく、そこには儚さ、憂鬱さなど、思春期特有の “闇” が見える。
なぜ彼は、“少女” たちばかりを写すのだろうか。長谷川から返って来た言葉は、シンプルなものだった。
「女の子が好きだから」
長谷川は、「写真を撮るために “少女” をモデルにする」のではなく、「“少女” が撮りたいからカメラを手にした」という。同じく、「廃墟や異空間が好きだから、そこへ行き写真を撮る」とも語る。こうして文字にしてしまうと危うさが漂うものの、分かりやすく、堂々とした理由だと感じた。
長谷川の写真には、見た人の脳を動かす力がある。人々の想像……いや、妄想を膨らませるのだ。“少女” を自分に置き換えてみたり、“少女” の人生を考えてみたり、何かを考えずにはいられない。写真1枚で、様々な世界が、物語が生まれる。
・少女 × 少女
長谷川の作品集『少女寫集シリーズ』は、主にヴィレッジヴァンガードの一部店舗と展示イベントで販売されているのみ。にもかかわらず、合計販売冊数は5000部を突破した。
なかでも目を惹くのが、『少女寫集 百合の咲く頃に』だ。百合をテーマに、“少女” と “少女” の友情や愛情を写した作品集である。大人世代には受け入れがたいテーマかもしれない。しかし、Z世代の少女たちには、この百合が身近に感じられる、興味のあるテーマになっているようだ。
「一緒にお弁当を食べよう」
「一緒にトイレに行こう」
「おそろいの洋服を着よう」
大人には行き過ぎと思える行動も、彼・彼女たちにはごく自然な日常に映る。そんな時代だからこそ、長谷川の写す百合をテーマにした写真は、若者にすんなりと受け入れられ、支持されているのだろう。
・人生は「楽しみ方さえ間違えなければ大丈夫」
長谷川がカメラを手にしたのは2010年。大学在学中のことだった。すぐに写真家としての活動を開始。大学卒業後は、地元の企業に就職するも、仕事の合間をぬって、写真家としての活動を続けていた。すると、次第に、Twitter を初めとした SNS で人気を集めるように。2015年には、仕事を辞めてプロの写真家へ転身する。現在は 6jomaProject に所属。活動の幅を広げている最中だ。
好きなもの(少女)を写し、人々に刺激を与え続ける長谷川に、Z世代へ伝えたいメッセージをもらった。
「自分として生きられる人生は1度しかないこと。人は必ず老いるし、いずれ死ぬこと。1年後、1カ月後、明日死ぬかもしれないということ。この辺を忘れないでいてほしいですね。
そうすると、自ずと<今日><今>を大切に出来ると思います。楽しみ方さえ間違えなければ大丈夫。勿論、将来も大事ですが、充実した<今>があってこその充実した<将来>だと思います」
今を悩み、将来に戸惑う若者たち、長谷川が写す “少女” たちのような、“闇” を抱える若者たちに届けたい言葉だ。
今後は、多くの人に受け入れられる作品から、よりマニアックなものまで幅広く活動していきたいという長谷川圭佑。彼が写す “少女” の行く先にも期待したい。
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Photo:KEISUKE HASEGAWA [公式サイト、Twitter]
執筆:MEGUMI TANAKA
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