一万円札を崩すのはある種の賭けである。なぜなら、手元にやってくる千円札がクシャクシャの千円札かもしれないからだ。コンビニで一万円札しかなかったとき……。
手元にやってきた千円札が、「なにがどうしてそうなった……!」と思うほどクッシャクシャだったとき、言いようのない残念な気持ちに襲われる。あれは一体なんなのか。
・色んな千円札
一口に千円札といっても、その表情は様々。生まれたての赤ちゃんのような、ピンとハリのある新札の千円札もあれば、場数(折り)を踏んだ、達人のような雰囲気の古札の千円札もある。一度挫折した新卒のような、折り目ある新札の千円札もある。
・クシャクシャで荒くれ者のような千円札
そんな千円札の中でも、比較的新札であるにもかかわらず、やたらと折り目だらけのクシャクシャな千円札がある。なぜそんなにも傷(折り目)だらけになってしまったのか……。とにかく折れまくりで、2〜3枚であっても財布の中でかさばるそいつらは、まるで不揃いなリンゴのよう。
・コンビニにたむろしていることが多い
そんなクシャクシャな千円札とは、往々にしてコンビニで遭遇することが多い。色んな客層が、各々のスタイルでお金を持ってくるからだ。例えば、財布がかさばるからと、千円札2〜3枚をポケットに忍ばせた人や、お年玉のように、ポチ袋に入った状態でもらったと思われる千円をもった子供など。そんな様々な人が、フラリと気軽に立ち寄る場所なのである。
・伸るか反るかの一大事
コンビニでの少額の買い物で一万円札を出すのはなんとなく気が引けるが、止むに止まれぬ事情もある。そうして、店員さんに一万円を手渡した瞬間が、伸るか反るかの一大事! なにが出るのか。シワシワなのか、ピンピンなのか。それとも……。
・ヤンキー千円との遭遇
そこで、とんでもない荒くれ者が顔を出した瞬間には思わずレジにつっ伏したくなる。──なにがあったのか。お前に一体なにがあったのか。そんな荒くれた千円札を、1枚、2枚……とレジから引き出す店員さん。
店員さんと私(筆者)の間に、微妙な空気が流れる。しかし、「そんな荒くれ者な千円札は受け取れません」なんて誰が言えようか。こうして我が手元にやってきた、翼の折れたエンジェル(千円)は、財布の中での収まりが案の定最悪だ。そして一刻も早く使ってしまいたい衝動に駆られ、ついつい散財しがちになってしまう。
・お札も人の如し
酸いも甘いも嗅ぎ分けたオトナな千円なら、多少の折り目もなんのその。何事もなかったかのように財布に収まることができるが、若くフレッシュな新札は折られると弱い。
なかなか元の自分を取り戻せず、長いこと折り目を引きずり、型(財布)にハマった生き方を拒んだりもしてしまう。初めての折り目(挫折)は、立ち直るのに時間がかかるもの……。それは人間もまた、しかりである。
・成長するもまた人の如し
クシャクシャの千円札を受け取ってしまった時の、あのがっかりな気分といったらないが、ふと、そんな千円札を擬人化してみると……。折れまくりのクシャクシャな千円札も、いつかは手になじむ、玄人のような趣を放つようになるのだ。
そう考えると、実に感慨深い。かさばるからと邪険にせず、アイロンでもかけて更生させてやるのも悪くないかもしれない。
執筆:DEBUNEKO
イラスト: マミヤ狂四郎
Photo:RocketNews24.