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【職人に聞こう】なぜ日本の刀は愛されるのか? 長野県無形文化財の刀匠「宮入法廣」さんに密着インタビュー

2015年5月25日

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日本の強さと美しさを象徴する “日本刀”。刀はアニメや漫画でよく目にするけれど、そこに隠された日本の精神性や文化はあまり知られていません。それならば、刀のプロに日本の刀についてとことん教えてもらいましょう!

ということで今回は、刀作りの達人・宮入法廣(みやいり のりひろ)さんにインタビュー取材をしてきました。職人に聞こう!

・最年少で新作名刀無鑑査認定、さらに伯父は人間国宝

宮入さんは1956年長野県坂城町に、刀匠・宮入清宗(きよむね)氏の長男として生まれました。宮入さんの家は江戸末期から続く刀鍛冶の名門であり、伯父の宮入行平(ゆきひら)氏は1963年に人間国宝に認定されています。そして宮入さんも刀鍛冶の道を選び、1995年12月には39歳という若さで新作名刀無鑑査の認定を受けました。この世界では、最年少での認定です。

そのあと宮入さんは高円宮家の3人の女王様の御護短刀、横綱朝青龍関の土俵入り太刀を制作するなど数々の輝かしい功績を残しています。そして2011年日本刀制作技術として、長野県無形文化財に指定され、その保持者として認定されたのです。

一体、刀の世界とはどんなものなのでしょうか? 以下が宮入さんのインタビュー内容です。

記者:なぜ刀鍛冶になろうと思ったのでしょうか?

宮入法廣さん(以下、職):基本的には好きだからでしょうね、それ以外に何もないですね。

記者:刀鍛冶の家に生まれて、他の職業に就こうと考えたことはなかったのですか?

職:それはありましたよ。やっぱり家が物作りの家で、他の焼き物も好きだったから、焼き物をやろうかなと一時期考えたことはあった。全国の窯元を一度周って、いろいろ見たこともあったんだけど、最終的には同じ物作りでも、焼き物だとゼロからのスタートでしょ。

刀は、家が刀を作っていたので、全くゼロじゃないんだよね。門前の小僧で、どうやって刀を作るかをある程度見ているから、他の人よりステップはいくつか上の段から出発できるんで、それでもいいかなって。それでも本当は、何でもよかったんだよね。

記者:物作りがすごく好きだったんですね。

職:性格的に、会社勤めは絶対にできないというのは、自分で分かってるんで。社会に馴染めない(笑)。

記者:そういうものなんですかね、芸術家というのは。

職:この世界、みんなそうだよ。みんなそれぞれ一匹狼だから。みんなたぶん社会に馴染めないと思うよ。

記者:刀を作る上で、一番苦労されていることは何ですか?

職:すべてだね。一本の刀を仕上げるまでに必要な材料の調達や炭の加工とか、すべてが大変なんだよ。刀を作る人も少ないけど、炭を焼く人も少なくなってる。日本の伝統文化を支える他の分野の人間がどんどんいなくなってる。もう本当に危機的な状況。

例えば炭でいえば、以前僕は岩手県の方から炭をとってたの。岩手県も3.11大震災で窯が全部潰れて、炭が焼けなくなっちゃって。あと、後継者不足。それで炭の供給が途絶えて、一時期は本当に1人20俵~30俵の割り当てでしか買えなかった。仕事は炭がないと始まらないから、一時期大変だったんだよ。

だけど自分の人脈を辿って、地元で炭焼きの窯と炭を焼いてくれる人を探して、今はなんとかやってる。そういうところから全部やらないといけないから、今は大変な時代だと思う。作ること以外にそれに付随する燃料確保など、余計なことまで心配しないといけないから。

記者:刀鍛冶として食べていくには、すごく苦労するとお聞きしたのですが、本当ですか?

インタビューの続きは次ページ(その2)へ。

参照リンク: 宮入法廣(NORIHIRO MIYAIRI)
Report: 田代大一朗
Photo: RocketNews24.

職:この世界に入って最近独立した若い刀鍛冶もいるんだけど、こういう経済状況でしょ。なかなか、みんな食べていけなくて、途中で辞めちゃう人間けっこう多いんだよ。

記者:やはりすごく難しいんですね。

職:うん、刀って基本的に必要のない物でしょ。焼き物だったらある程度実用価値っていうのがあるから。今の時代、刀は実用価値ってないでしょ。

記者:そうですね、人を斬るとかないですものね。

職:武器だからね。だから僕ら刀職人は、国から作っていいという許可をもらって作ってるんですよ。その許可を得るにはまず一人の師匠に5年間以上ついて、修行しないといけない。その上で、文化庁主催の作刀実地研修会を終了させなければ、刀を作っていいという許可をもらえないんですよ。

中には途中で挫折して辞めてく人間も結構いるんだよ、続かなくて。それで続いて検定に受かって、免許をもらっても、今度は作っても売れないから、食べていけなくて。結局そこでまた挫折して辞めちゃう人間も結構いるんだよね。だからどんなに貧乏しても、好きっていう気持ちがあれば、その気持ちを胸にコツコツやっていけるんだけどね。本当に仕事ができる人間っていうのは、どんどん減っているよね。

▼宮入さんがお客さんから預かって修理している刀

▼持ってみると、かなり重い!!

▼顔がはっきり映ってる。生で見る刀の方が何倍も美しい

記者:刀鍛冶の免許を取得しても、そんなに辞めていく人が多いのでしょうか?

職:うん、さっき言ったように食べていけないから。焼き物だったら窯から出せばすぐに製品になるでしょ。刀の場合は作ってさらに、それを「鞘」「ハバキ」「研ぎ」の仕上げに出さなければならなく、それぞれ全部職人が違うんだよ。だから、それらにかかるコストもある。

「鞘」「ハバキ」「研ぎ」の全部に出して、いい所にかければ、大体50万円位かかっちゃうんだよ。それで自分の作った刀が、若い連中なんか大体100万円とかで売れれば良い方なんだけど、50万円としても、今度僕らの鍛冶屋の方では、材料とか炭とか設備投資したものがあるでしょ。そういったお金を考えると、手元に残るお金はほんのわずか。

刀は作ったはいいけれども、やっぱり食べていけないから、結局は作れなくなるというか、他の仕事に就かざるを得なくなる。悪循環になっていく。ものすごく厳しいんだよ。

記者:もともと刀は人を斬るための武器であったと思いますが、今は見て美しさを感じたり、大和魂を感じたりと刀の意味・目的が過去と違うように思います。今の刀のあり方と、昔の刀のあり方は変わってきているのでしょうか?

職:いや、変わっていない。もともと刀には、切れ味を追求した武器としての刀と、美しさを追求した鑑賞用の刀がある。そして現在日本で作られている刀は、美術性を追求したものだけ。じゃないと、国から認可がもらえないから。また名刀と呼ばれる刀のほとんどが、美術性を追求して作られたものなんだ

記者:じゃあ名刀と呼ばれる刀は、あまり切れないのでしょうか?

職:それは使ってないから分からないけど、でも使えないことはないってことだね、刀だから。ただそれが果たして、どのくらい強靭性があったかっていうのは、試してないから分からないよね。

記者:かなり昔に作られた名刀が、なぜこれほどたくさん残っているのでしょうか?

職:それはちゃんとした大名家が守ってきたから。国宝クラスの名刀はみんなそうなの。家の宝として守られてきた。室町時代の物で刀の値段を書いた文献あるけど、1470年代の文献を見ると、名刀が室町時代の貨幣単位「ひき」でいうと、名刀が万ひき。普通の刀は100ひき。いわゆる100倍の値段の差が当時からある。今で言うと、100万円の刀と1億円の刀になる。それくらいの価格差があった。

▼宮入さんが2009年に作った太刀

▼雷雲のような刃文が美しい

記者:刀の正しい楽しみ方とは?

職:やっぱり見るだけじゃわからない。外国人でもある程度勉強してもらわないと。どんな物でもそうだけど、刀には格付けがあるから。良い物か悪い物かを見分けられる目が必要で、そのためにはしっかり勉強しないといけない。

記者:世界にいろんな武器がある中で、なぜこんなに日本刀が愛されていると思いますか?

職:世界的にみると、全世界に刀ってあるんだよね。でも刀でも、刀の鉄そのものに美術性や芸術性を認めているのは、日本刀だけなんだよ。

海外の刀ではどこに価値を見出すかっていうと、刀身に宝石とか彫刻とかをして、派手に飾るところに価値を見出してる。しかし日本刀は、素材そのものに価値を見出している。そこが一番違う。もともと日本では刀が三種の神器のひとつであるように、光物、お守りとして作られてきているから、刀は日本人の文化や精神の中になくてはならない存在だった。

そしてなぜ芸術性が認められるようになったかというと、ひとつは磨ぎの技術「研磨」が昔から発達していたことが大きいと思う。これは日本人の独特な見方なのかもしれないけど、鉄は単に黒いだけというイメージがあるでしょ。メタルチックなイメージ。

でも鎌倉時代や室町時代の古い文献を見ると、刀の色の表現として黒、白、赤、青とかそういう表現をしているんだよ。そういう表現をするということは「研磨」の技術があって、それだけ刀が磨がれていたっていうこと。言い換えるなら、そこまで鉄の色が見分けられたということ。それほど研磨の技術が発達していたから、刀はこれまで愛され続けてきたんだと思う。

▼長野県無形文化財に指定された際に宮入さんが作った太刀

▼備前伝の特徴の1つ「丁子の実が連なったように見える刃文」に注目

記者:修行時代に、叔父の行平(ゆきひら)氏の反対を押し切って、隅谷正峯氏の所に入門されたと聞きましたが、そのときの心境はどうったのでしょうか? なぜ家を出て、他の所へ勉強に行ったのですか?

職:やっぱり隅谷師匠の作品に惚れてた。本当はいけなかった。だけど偶然が重なって行けたんだよね。まず大学を卒業する年の11月に、行平が亡くなった。そして隅谷に行くのを反対していた当時の刀剣会のドン「佐藤寒山」っていう鑑定家が、その次の年の2月に亡くなった。

他の一門への弟子入りを反対していた2人が相次いで亡くなり、偶然が重なって行けたの。だからそういったことに関しても、師匠との赤い糸みたいなのを感じてる。師匠の性格が好きで、作品が好きで、師匠に入門をお願いした。

記者:当時は反対も多かったのでしょうか?

職:もう全部反対。当然だよね、味方もいなかった。

記者:それを押し切ってまでも行ったのは、それほどまでに師匠に惹かれたんですね。

インタビューの続きは次ページ(その3)へ。

職:そうですね。師匠は職人的な感覚じゃなく、すごく芸術家の感覚で刀を作るんだよ。字を書かせても、絵を描かせても上手い。何をやらせても常人レベルを超えていて、いろんな魅力があったんだよ。いわゆる刀だけしかできない人間じゃなくて、幅広く教養があった。

それが相まって、創意創作になっていると思う。仕事も作品も斬新。それが魅力的だった。結局は自分が作る物だから、周りのことを気にする必要はない。それで師匠に就いたんだよね。

記者:なぜ周りの人たちにそこまで反対されたのでしょうか?

職:刀の世界って、すごく保守的なんだよ。相撲部屋と同じで。一門(いちもん)意識が強い。今でもそうだけど、日本の刀鍛冶の世界には「宮入一門」「月山(がっさん)一門」「隅谷一門」の三つの大きい流派があって、直系が他の流派にいくっていうのは、やっぱり反対するよ。

記者:過去に事例はあったのでしょうか?

職:ないない。

記者:画期的だったんですね。

職:それは本来、許されないことだから。

記者:隅谷師匠はどう対応されたのでしょうか?

職:師匠は受け入れてくれたよ。私が弟子入りを申し出たということは、ある意味宮入一門が自分の技術を認めたことになるし、師匠にとっては悪いことではなかったから。

▼宮入さんが作った紫牙撥縷把鞘刀子。正倉院に伝わる刀子の復元も手掛ける

▼刀子とは奈良時代の小刀で外装にさまざまな意匠をほどこし貴族の間でお守りとして用いられていた

記者:ご自身が作られた刀を、将来の持ち主の方にどう使われてほしいですか?

職:家に伝わるならば、家のお守りとしてずっと伝えてほしい。

記者:お守りというのは邪気から守るとか、そういったことですか?

職:そうそう。三種の神器は勾玉(まがたま)、鏡、刀でしょ。皇室でも皇族にお子様が産まれた時に、「賜剣(しけん)の儀」という天皇陛下が刀を授ける儀式がある。あれは健やかな成長を願ってやるものなんだ。

記者:極端な話、これから刀の知識や文化が広まって、日本の全家庭に家のお守りとして刀を持ってほしいなど、理想の刀の広まり方はありますか?

職:できるだけ多くの人に刀に興味を持ってもらいたいのと、僕らが後継者を育てても、若い連中が食っていけなければ、その後の時代が育たないから、若い連中もバックアップできるような体制を作り、刀匠人口が増えてくれればいいなと思う。

記者:刀鍛冶をサポートする制度ということですか?

職:そうだね、国の制度も対応していってくれれば一番いいんだけど。海外への道でも開ければ、若い連中も楽になるから、海外にも目を向けて刀鍛冶の世界をPRできればいいなと思う。

▼刀の材料となる鉄を四角い形にしていく”まとめ”という作業を見せてくださいました

▼火花の温度は約1300度。近くで見ているだけで、すごく熱い!

記者:海外から注文はあるんですか?

職:ありますよ。

記者:どういった方が多いのでしょうか?

職:やっぱり海外の愛好家。

記者:どこの国が多いですか?

職:僕の場合は、スウェーデンやデンマーク。北欧が多い。

記者:北欧でも流行っているんですね。

職:たまたま北欧に刀が好きな人がいて、その人が刀の会を作っているの。その人を通じて、何本か頼まれてる。

記者:海外の愛好家というのは、コレクターに近いのでしょうか?

職:そうですね。

記者:そういった海外の方たちは、日本の文化を知った上で刀を欲しいと思っているのでしょうか?

職:彼らは日本に来て、刀の勉強をしっかりしてる人たち。日本人より刀の見方を知ってるよ。それで向こうで会を作って、ちゃんと刀の勉強をしてる。

▼機械のハンマーでしっかり叩いて、成形していく

記者:最近、若い女性の間で「刀剣乱舞」っていう、刀を擬人化したゲームがありますが、それについてはどう思われますか?

職:刀の認知度が広がるのはいいと思う。そこから例えわずかでも、本当の刀に興味を持って勉強してくれるような、そんなきっかけを作ってくれれば良いと思う。例えば寿司と同じで、日本の寿司の形があるけど、それが海外に出て色んな形に変化してるでしょ。それはそれでいいと思う。

そして日本の本当の寿司が食べたくて、日本に来る人もいる。さらには実際に日本の寿司を食べて、本当の寿司のうまさに驚くってこともあるから。だからそういった形で、刀を知る最初のきっかけになってくれれば、いいかな。

記者:ゲームをやられたことはありますか?

職:ない。

記者:生活の中でテレビを見ることは?

職:NHKのニュースぐらいだね。バラエティ番組とかは見ないね。

記者:娯楽というと、映画とかは観られるんですか?

職:めったにない。

記者:じゃあ息抜きは?

職:リビングで酒飲むことかな。

記者:すごい!

職:なんで?

記者:なんだか仙人みたいな。本当に煩悩なく、生活されていて。

職:だってここにいれば、何も必要ないから。

記者:逆に、ストレスとかはたまらないんですか?

職:うん、たまらないね。欲望もないし。東京あたりだと、いろんな誘惑もあるからね。

記者:欲しいものもないのですか?

インタビューの続きは次ページ(その4)へ。

職:欲しい物? 今はないね。

▼まとめ作業後の鉄。本当に四角くなってる!!

記者:刀の基本的な材料はどんなものなのでしょうか? ※ロケットニュース24読者からの質問

職:基本的には玉鋼(たまはがね)。結局原料が同じだと、同じ作り方になってしまい、同じ物しかできないんだよね。だから新しい物を作るには、自分で原料を考えていかなきゃいけない。

記者:例えばどんな新しい物を使っているのですか?

職:僕は玉鋼じゃなくて銑(ずく)っていう、玉鋼よりもっと炭素量の高い物を使ってる。

▼作業によっては一日中、工房にいる。まさに自分一人で立ち向かう孤独の世界

▼鉄を叩き、不純物を除去する作業「鍛練」のときは、部屋のカーテンを閉め真っ暗にする。カーテンを閉め切っているため、夏に作業をすると、部屋は40度以上になり、まさにサウナ状態

▼部屋を真っ暗にする理由は、炎の色をより正確に見るため

記者:歴代の名だたる刀匠の方々から1名選び、もし一緒に刀を作れるなら、どの刀匠の方を選びますか? ※ロケットニュース24読者からの質問

職:う~ん、それは言いがたいね。刀ってそれぞれ魅力があるから、特にはないね。

記者:今ほしい材料はありますか?

職:ある。例えば専門的な言葉だけど、包丁鉄。銑(ずく)から極限まで炭素を抜いた柔らかい鉄。その包丁鉄が今ほしいんだよね。

記者:それを作れる方がいないということですか?

職:作る技術がない。

記者:なるほど。

職:今は作る人もいないし、技術もない。

記者:現に、包丁鉄で作られた刀は存在していますか?

職:包丁鉄は、それ単体では刀にならない。いろいろな材料と混ぜて、加工しないと使えない。

記者:包丁鉄を使うことによって、何が変わってくるのですか?

職:景色が変わってくる。刀に現れる景色が。刀の見所は、3つあるんだよ。一番最初が刀の形、つまりフォルム。二つ目が「地金」。折り返し鍛錬を行なうことによって地(ぢ)に模様、つまり景色が生まれ、それを地金という。三つ目は「刃文」。地と刃の間に生まれる境界線の模様のことで、稲妻や雲のようないろんな景色を見せてくれる。これらが刀の見所で、その見所の美しさは材料でずいぶん変わってくる。

▼研ぎの作業



▼刀鍛冶職人が軽く研ぎ、仕上げの研ぎは研ぎ師にお願いする

記者:ご自身にとって刀とはなんでしょうか?

職:刀とは、分身みたいなもんだね。精魂込めて作ってるから。

記者:そのときの自分が刀に現れるということですか?

職:うん、一本一本、これをやろう、あれをやろうって思いを込めて作ってるから。

記者:つまり刀の仕上がりは、そのときの環境や精神状態で……

職:左右される。


記者:最後の質問ですが、これからの夢は何ですか?

職:まだまだ刀の評価というのは、古い刀との対照の評価なんだよ。いま作った刀と、例えば古い刀とを比べた時に、どの程度のレベルにあるかっていう評価なんだよね。だから古い物と同じか、それ以上の物を作りたいっていうのはある。いわゆる名刀に匹敵するような刀を作りたいっていうのが、夢かな。

記者:その刀の価値を判断されるのは、鑑定家なのですか?

職:一般的にはそうだけど、やっぱり自分の目を一番信じてるよ。そのためにいろんな良いものを見るようにしてるし、機会があれば一流の物を見るようにしてる。鑑定家はある意味、表面的なものだけを見てるでしょ。僕らは素材そのものから分かるし、もっと違う視点から見れるから、鑑定家よりもっと奥深いところを見れると思う。

記者:ご自身で満足できる、歴代の名刀に匹敵する刀を作るのが夢ということですか?

職:うん、作りたい。できないかもしれないけれど。少しでも近づきたいっていうのはある。それが夢だね。

記者:ありがとうございました!

いかがでしたか? すごく勉強になるインタビューだったのではないでしょうか? 私は今回インタビュアーをして、もちろん宮入さんの凄まじいストイックさ・ひたむきさに驚きを覚えたのですが、一番感銘を受けたことは宮入さんの優しさでした。こちらがお願いしてインタビューさせてもらっているにも関わらず、私たちロケットニューススタッフをまるでゲストのようにすごく親切に出迎えていただきました。

そして刀鍛冶の仕事をひとつひとつ丁寧に優しく教えていただき、最後には車で帰り道の案内までしてくださいました。まるで父のような温かさでした。

何かを極めた人は、他人に優しくなる。

今の境地にいたるまで様々な人に支えられ、人の助けのありがたさを知っているからこそ、他人に感謝の気持ちを持ち、あれほど優しくなれるのかもしれません。「自分もあんなふうに歳を重ねていきたい」。心の底からそう思わせてくれるカッコよくて、心温かい職人さんでした。

参照リンク: 宮入法廣(NORIHIRO MIYAIRI)
Report: 田代大一朗
Photo: RocketNews24.

▼宮入法廣さんが住むのは、自然あふれる静かな地・長野県軽井沢

▼こちらが刀匠の宮入法廣さん

▼刀の研ぎに挑戦させてもらいました

▼独特の座り方でするので、慣れていないと膝を痛めるらしい

▼座る台はこんな形をしています

▼全然バランスがとれない!!

▼右足に体重をのせるのがポイント

▼ちょっとできるようになったけど、これを長時間続けるのはかなりきつい……

▼次は、炭を一定の大きさに切り揃える作業「炭切り」に挑戦。炭切りは刀鍛冶を志す人たちが最初に修行する作業であり、3年かけてやっと綺麗に素早く切れるようになる

▼宮入さんに「時々ナタで爪を割っちゃう弟子がいるから気をつけてね」と言われ、ビビりまくる上田

▼全然綺麗に切れない。本来はこの作業は、電気を消した暗闇の工房でするというから驚きです

▼火傷は日常茶飯事で、今では火傷の治りが速くなっているらしいです。また大量の小さな炭が工房中に舞っているため、のどを痛めることもよくあるのだとか。ちなみに取材後に自分の鼻をかんでみたら、かんだティッシュが炭で真っ黒になっていました

▼「神の手」とも呼ばれる宮入さんの手

▼この手から多くの美しい刀が生まれてきた

▼宮入さんいわく刀鍛冶の一番脂がのる時期は、50代後半から60代前半。それは人生の様々な経験が、刀を作る上で重要になってくるから

▼宮入さんから読者へのメッセージ「持っている引き出しの数が多ければ多いほど、応用が効き、いいものが作れるようになります。そしてその引き出しの数とは、つまりは失敗の数。だからいろんなことに全力で挑戦して、いっぱい失敗して下さい」

[ この記事の英語版はこちら / Read in English ]

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