ドラフト会議の1位指名で5球団以上が競合した選手は、これまでたったの11人しかいない。そのうちのひとりで、プロ初登板初先発でノーヒットノーランを達成した投手をご存知だろうか。
有り余る才能がありつつも、怪我に泣かされ引退した太く短い野球人生……今回は、その選手を動画「1987 近藤真一 初登板 初先発 ノーヒットノーラン」と合わせてご紹介したい。
・近藤真一選手とは
1986年(昭和61)のドラフト会議で中日、阪神、広島、ヤクルト、日本ハムの5球団から指名を受けたのが享栄高・近藤真一投手だ。その年の春、夏連続で甲子園に出場しており、高校生離れしたピッチングは注目を浴びていた。
出身地である愛知県に本拠地を置く中日ドラゴンズが交渉権を獲得し入団。左腕から繰り出される140キロ後半の球速でノビのあるストレートと縦に大きく変化するカーブが武器で、堂々としたピッチングが特徴だった。
・初登板初先発での快挙
近藤投手は、高卒ルーキーながら1987年8月9日のプロデビュー戦でとんでもない離れ業をやってのける。なんといきなりノーヒットノーラン、しかも対戦相手は原辰徳選手や篠塚利夫選手を擁する読売ジャイアンツだった。
・怪我に苦しめられた野球人生
18歳で月間 MVP を最年少で獲得し、将来を期待されていたが、2年目のシーズンで投手の生命線でもある肩を故障。数回に渡る手術を受けるも、状態は回復することはなく、1994年に現役引退した。
・受け継がれた背番号
通算52試合に登板、12勝17敗で防御率3・90という成績で6年間のプロ野球人生を終えた近藤投手。引退してからは「近藤真市」の名前で中日ドラゴンズのスコアラー、スカウトなどを務め、現在は投手コーチを担当している。
ちなみに球界を代表する守護神であるドラゴンズの岩瀬仁紀投手は、近藤氏にスカウトされて中日入団に至った。その縁もあり、近藤氏のつけていた背番号「13」を岩瀬投手が継承している。岩瀬投手には「近藤さんの分まで……」という気持ちがあるに違いない。