職:この世界に入って最近独立した若い刀鍛冶もいるんだけど、こういう経済状況でしょ。なかなか、みんな食べていけなくて、途中で辞めちゃう人間けっこう多いんだよ。

記者:やはりすごく難しいんですね。

職:うん、刀って基本的に必要のない物でしょ。焼き物だったらある程度実用価値っていうのがあるから。今の時代、刀は実用価値ってないでしょ。

記者:そうですね、人を斬るとかないですものね。

職:武器だからね。だから僕ら刀職人は、国から作っていいという許可をもらって作ってるんですよ。その許可を得るにはまず一人の師匠に5年間以上ついて、修行しないといけない。その上で、文化庁主催の作刀実地研修会を終了させなければ、刀を作っていいという許可をもらえないんですよ。

中には途中で挫折して辞めてく人間も結構いるんだよ、続かなくて。それで続いて検定に受かって、免許をもらっても、今度は作っても売れないから、食べていけなくて。結局そこでまた挫折して辞めちゃう人間も結構いるんだよね。だからどんなに貧乏しても、好きっていう気持ちがあれば、その気持ちを胸にコツコツやっていけるんだけどね。本当に仕事ができる人間っていうのは、どんどん減っているよね。

▼宮入さんがお客さんから預かって修理している刀
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▼持ってみると、かなり重い!!
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▼顔がはっきり映ってる。生で見る刀の方が何倍も美しい
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記者:刀鍛冶の免許を取得しても、そんなに辞めていく人が多いのでしょうか?

職:うん、さっき言ったように食べていけないから。焼き物だったら窯から出せばすぐに製品になるでしょ。刀の場合は作ってさらに、それを「鞘」「ハバキ」「研ぎ」の仕上げに出さなければならなく、それぞれ全部職人が違うんだよ。だから、それらにかかるコストもある。

「鞘」「ハバキ」「研ぎ」の全部に出して、いい所にかければ、大体50万円位かかっちゃうんだよ。それで自分の作った刀が、若い連中なんか大体100万円とかで売れれば良い方なんだけど、50万円としても、今度僕らの鍛冶屋の方では、材料とか炭とか設備投資したものがあるでしょ。そういったお金を考えると、手元に残るお金はほんのわずか。

刀は作ったはいいけれども、やっぱり食べていけないから、結局は作れなくなるというか、他の仕事に就かざるを得なくなる。悪循環になっていく。ものすごく厳しいんだよ。

記者:もともと刀は人を斬るための武器であったと思いますが、今は見て美しさを感じたり、大和魂を感じたりと刀の意味・目的が過去と違うように思います。今の刀のあり方と、昔の刀のあり方は変わってきているのでしょうか?

職:いや、変わっていない。もともと刀には、切れ味を追求した武器としての刀と、美しさを追求した鑑賞用の刀がある。そして現在日本で作られている刀は、美術性を追求したものだけ。じゃないと、国から認可がもらえないから。また名刀と呼ばれる刀のほとんどが、美術性を追求して作られたものなんだ

記者:じゃあ名刀と呼ばれる刀は、あまり切れないのでしょうか?

職:それは使ってないから分からないけど、でも使えないことはないってことだね、刀だから。ただそれが果たして、どのくらい強靭性があったかっていうのは、試してないから分からないよね。

記者:かなり昔に作られた名刀が、なぜこれほどたくさん残っているのでしょうか?

職:それはちゃんとした大名家が守ってきたから。国宝クラスの名刀はみんなそうなの。家の宝として守られてきた。室町時代の物で刀の値段を書いた文献あるけど、1470年代の文献を見ると、名刀が室町時代の貨幣単位「ひき」でいうと、名刀が万ひき。普通の刀は100ひき。いわゆる100倍の値段の差が当時からある。今で言うと、100万円の刀と1億円の刀になる。それくらいの価格差があった。

▼宮入さんが2009年に作った太刀
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▼雷雲のような刃文が美しい
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記者:刀の正しい楽しみ方とは?

職:やっぱり見るだけじゃわからない。外国人でもある程度勉強してもらわないと。どんな物でもそうだけど、刀には格付けがあるから。良い物か悪い物かを見分けられる目が必要で、そのためにはしっかり勉強しないといけない。

記者:世界にいろんな武器がある中で、なぜこんなに日本刀が愛されていると思いますか?

職:世界的にみると、全世界に刀ってあるんだよね。でも刀でも、刀の鉄そのものに美術性や芸術性を認めているのは、日本刀だけなんだよ。

海外の刀ではどこに価値を見出すかっていうと、刀身に宝石とか彫刻とかをして、派手に飾るところに価値を見出してる。しかし日本刀は、素材そのものに価値を見出している。そこが一番違う。もともと日本では刀が三種の神器のひとつであるように、光物、お守りとして作られてきているから、刀は日本人の文化や精神の中になくてはならない存在だった。

そしてなぜ芸術性が認められるようになったかというと、ひとつは磨ぎの技術「研磨」が昔から発達していたことが大きいと思う。これは日本人の独特な見方なのかもしれないけど、鉄は単に黒いだけというイメージがあるでしょ。メタルチックなイメージ。

でも鎌倉時代や室町時代の古い文献を見ると、刀の色の表現として黒、白、赤、青とかそういう表現をしているんだよ。そういう表現をするということは「研磨」の技術があって、それだけ刀が磨がれていたっていうこと。言い換えるなら、そこまで鉄の色が見分けられたということ。それほど研磨の技術が発達していたから、刀はこれまで愛され続けてきたんだと思う。

▼長野県無形文化財に指定された際に宮入さんが作った太刀
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▼備前伝の特徴の1つ「丁子の実が連なったように見える刃文」に注目
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記者:修行時代に、叔父の行平(ゆきひら)氏の反対を押し切って、隅谷正峯氏の所に入門されたと聞きましたが、そのときの心境はどうったのでしょうか? なぜ家を出て、他の所へ勉強に行ったのですか?

職:やっぱり隅谷師匠の作品に惚れてた。本当はいけなかった。だけど偶然が重なって行けたんだよね。まず大学を卒業する年の11月に、行平が亡くなった。そして隅谷に行くのを反対していた当時の刀剣会のドン「佐藤寒山」っていう鑑定家が、その次の年の2月に亡くなった。

他の一門への弟子入りを反対していた2人が相次いで亡くなり、偶然が重なって行けたの。だからそういったことに関しても、師匠との赤い糸みたいなのを感じてる。師匠の性格が好きで、作品が好きで、師匠に入門をお願いした。

記者:当時は反対も多かったのでしょうか?

職:もう全部反対。当然だよね、味方もいなかった。

記者:それを押し切ってまでも行ったのは、それほどまでに師匠に惹かれたんですね。

インタビューの続きは次ページ(その3)へ。


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