結婚式が苦手である。正確にいうと、結婚式の披露宴に「お呼ばれ」するのが苦手である。

理由は後述するが、新郎・新婦を介してしか接点のない人同士が大勢集まり、楽しげに会食するという空気がどうにも不自然で落ち着かないのである。

ところが先日、近しい人から招待を受けた。「この時期?」という気持ちがなかったわけではないし、直前まで思い悩んだのだが、結果的にこれまで参列した結婚式でもっとも温かく印象深いものになった。どういうことか、この感動をお伝えしたい。


・結婚式が苦手な理由

SNSをのぞくと「結婚式(披露宴)に行きたくない理由」は枚挙にいとまがない。金銭的負担が大きい、たいして親しくない、話し相手がいない、休日がつぶれる、親戚に会いたくない……そして最近では感染症への懸念だろう。

筆者の理由はただ1つ、老若男女ほとんど知らない人に囲まれて飲食するという「あの特殊な空間」を楽しめるほど、コミュ力がないからだ。

参加者は年配の親族から、学生時代の悪友、職場の上司まで年齢も属性もばらばらの、新郎・新婦を中心としたネットワークだ。

すべてを把握しているのは新郎・新婦だけ。しかも規模が大きくなればなるほど、イチ参列者が新郎・新婦と交流できる機会は少ない。それぞれのテーブル内では会話はあるだろうが、結局は明日の仕事の話だったり、内輪の話題になりがちだ。

さして親しくもないのに「同じ課だから」という理由で呼ばれているときなど、さらにいたたまれない。愛想笑いを浮かべながら「ワタシはなぜここに?」と思うこともしばしば。

「隣の席の○○さんは呼んだから」「新郎側が○人だから」などといった理由で「呼ばなければならない」枠に入ってしまった(と想像する)ときなど、もう爆死しそうである。


親族の立場になればなったで、各テーブルを回ってのお酌に忙しい。自席で地蔵になって「気が利かない」と思われるのもシャクである。

もう少しコミュ力のある人なら、久しぶりに会った知人と旧交を温めたり、雑談からビジネスチャンスをつかんだり、同世代との新しい出会いを楽しんだりできるはず。しかし非社交的な筆者には、その気詰まりな時間・空間が、やりきれない。

そんな折り、今回の結婚式である。


・コロナ禍での結婚式

コロナ禍で多くの結婚式や披露宴が中止・延期になったのはご存じの通り。今回のケースも開催までは紆余曲折あったと聞く。そんな中での披露宴は、イレギュラーなことの連続だった。


参加者は会場定員の5分の1ほどに抑えられ、家族・親族を中心としたごく少人数。検温・手指消毒・マスク着用は当然のこととして、披露宴にはつきものの「お酌」は一切禁止。ドリンクはすべてグラスで提供され、スタッフ以外の人は触らない。

テーブルの移動も禁止。「わたくし新婦の姉の……」などと自己紹介をしながらテーブルを回る必要が一切ない。互いに顔を覚えられないのは難点だが、会場の中で、今後も付き合いが続く人がどれだけいるだろうか。

テーブルは1グループで1つを占有。たとえば3人家族で1テーブル、5人家族で1テーブルと、テーブルによって密度にばらつきがあり、それも「よし」とされていた。新郎側・新婦側の人数のバランスといった慣習も気にしていないようだ。

余興もなし。友人らが歌ったり踊ったり脱いだり、といった派手なパフォーマンスはなく、プロフィールビデオを上映するくらい。


・その結果、残ったもの

披露宴の醍醐味でもあった「社交」を徹底的に排除した結果、残ったものは「新郎・新婦のことを思う」というごくシンプルな時間だった。

結婚とは、きれい事ではない。不仲や不倫や離婚もあるし、子どもが生まれても生まれなくても悩みは絶えない。健康問題や介護や相続など、加齢とともに問題は減るどころか増えていく。


それでも新しい家族の歴史が始まる瞬間に立ち会えたことには、単純に感動した。

筆者には珍しいことなのだが、思わずもらい泣きまでしてしまった。会場を眺めると、ほかにも涙をぬぐっている人が多数。それぞれに新郎・新婦への思いがこみ上げているようだ。

そんな風に素直に感動できた理由は「余計なことを考えなくていい」という1点に尽きるだろう。

少人数なのでおそらく1人1人に「参加している」感があり、他人事ではないという当事者意識がある。新郎・新婦がとても身近に感じられ、筆者も若い2人のことが一気に好きになってしまった。


「挨拶しないと」「会話を盛り上げないと」などと立ち居振る舞いを考えなくていいので、かえって周囲の人をじっくり観察したり、思いを馳せたりもできる。知らない顔がほとんどなのは変わらないが、席次表をみて想像したり、逆に「話してみたいな」という気にさせられる。


これぞ「原点回帰」である。常識にとらわれず合理的で、素朴ながらも温かい。これからの披露宴は、このような形がいいんじゃないだろうか。自分が本当に来て欲しい人、大事に思っている人だけを招き、静かに時間を過ごす。

行く前には「若い2人の前途洋々の未来に、なんかジェラシー……!」なんて考えていたが、そんな闇が浄化されるほどよい式だった。まだ幸せの余韻が残っているようである。久しぶりに「人と人とのつながり」を温かく感じられる1日をもらった。

こんな披露宴だったら何度でも呼ばれたい。


執筆:冨樫さや
Photo:RocketNews24.