私が小学生だったある年の4月8日、父が突然『ブッダ』全12巻セットを抱えて帰宅した。それを読んだ私は熱烈に仏教を信仰し始め……たワケではないが、単純に「お釈迦様ってスゲー」という気持ちになった。今でも時おり「こんな時ブッダならば」と考えることがある。

父が漫画を買ってきたのはその日が最初で最後だったが、あれは彼の人生でもかなり徳の高い行いだったと言えるだろう。全国の親御さんはぜひお子さんに『ブッダ』を買い与えるべき! それはそうと……ウチの父はなぜ突然『ブッダ』を全巻買ってきたのか?

・今日は特別な日なのです

本人に理由を聞いたところ「4月8日はブッダの誕生日だから」と静かに語った。なぜか突如「ブッダ全巻セットを買おう」という気持ちになったらしい。それは恐らく俗に言う “天啓” というやつ。お釈迦様のお導きに違いあるまいて。

世界各国を旅していると、宗教は違えど “神様への祈りが生活の一部” になっている国が多いと感じる。神様に感謝の気持ちを持つのはいいことだ。日本は無宗教者の割合が高いが、死んだら仏教のお寺に埋葬されるパターンが多いワケだから、仏教国の一部ということになる。

ならば我々は仏教の教祖たる釈迦、本名ゴータマ・シッダールタ、すなわちブッダについて、多少の知識を持っておいて損はないだろう。我が父もそんな思いから全巻セット(潮ビジュアル文庫版 / 約6000円)を購入したらしい。


・ブッダも普通の人間だった

『ブッダ』の作者は漫画の神様・手塚治虫先生。この長編漫画はブッダの生涯を描いているものの、史実とは異なる点も多く、ブッダをモチーフとしたフィクションという扱いだ。さすが “神様が神様を描いた” だけのことはあり、人生を導く格言が随所に散りばめられているぞ。

ただ私は格言そのものより “ブッダがいかに苦労して格言にたどり着いたか” に注目してほしいと思う。彼は生まれた時から「何万年かに一度の偉大な人間になる」と予言されていたのだが、もちろん最初は普通の少年であった。

子供のころから「人間はどうして生まれて死ぬのだろう」という疑問にブチ当たっていたブッダは、そこから自分の殻に閉じこもったり、祖国を捨てたり、辛い苦行を行ったり、ありとあらゆる苦しみに自分の意思で飛び込んでゆく。

そんななか物語は、私が個人的に作品中で最も衝撃を受けた『アッサジの死』のくだりに突入する。予知能力を持つ少年アッサジは “自分がいつ死ぬか” を知っていた。にもかかわらず、自らすすんで死を受け入れたのだ。

このシーンはマジでスゴイから、最悪6巻だけでも全国民に読んでほしいと願う。そしてアッサジの死に大ショックを受けたブッダは落ちるとこまで落ちた結果、ついに「悟り」を開くのであった。全12巻中、この時点ですでに中盤。悟りへの道のりはかくも厳しいものである。


・悟りとは何か

人はいつか死ぬ。理屈では分かっていても、我々はその恐怖と戦い続けねばならない。他にも病気や貧困、人間関係など様々な苦しみが発生するのが人生だが、おそらく「悟り」とはそういった戦いの向こう側の境地。そこへたどり着くため、人は修行をするのだ……と思う。

そういえばエヴァのシンジ君もシリーズ序盤から25年間、さんざん逃げたり悩んだりした結果、完結編でようやく向こう側に到達した様子であった。あれも一種の悟りと言えるのだろう。シンジ君、おめでとう。

ちなみに6巻で悟りを開いたブッダだが、最終巻になってもまだ「私は無駄なことをしてきたのか」などと落ち込んでは弟子に励まされたりしている。かと思えば晩年になって “大いなる悟り” を得たりと、とにかく一度悟りを開いたからといって安心できないのが人生なのだ。


・いつか悟りを開きたい

本作でブッダは最終的に「何かが満たされない」という思いを抱えたまま死んでいったようだから、この世にはブッダも到達し得なかった “大いなる悟りのさらに上をいく境地” があるのかもしれない。あるいは完全には満たされないのが人生とも考えられるし……う〜ん。

あぁ、私もいつか悟りを開きたい。生きるとは何か? そして人間とは? ……なんてことばかり考えていると目まいがするが、年に一度くらいはそういう難しいことを考えてみるのもいい。だって今日はブッダの誕生日だから。

執筆:亀沢郁奈
Photo:RocketNews24.

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