湯船。それは日本人にとって、魂の港。あるいは約束されたこの世の天国……のようなもの。そこに満ちる湯が温泉ともなれば、まさに昇天しかねないレベルな悦楽の園……といっても過言ではあるまい。

そんな湯船だが、ゆえあってかれこれ20年ほど湯につかることそのものと疎遠な人生を送ってきた。それが先日、これまたゆえあって大衆向けの温泉にて湯に浸かったところ、とんでもない目にあうことに。あれはまさに地獄そのものだった

・潔癖症

まずは、およそ20年も湯船に入らなかった理由について語ろう。まあ単純な話で、嫌悪しているからだ。といっても、お湯やらバスタブやらを嫌悪しているわけじゃない。他人が入ったお湯が嫌なのだ。いわゆる潔癖症というやつである。

ちなみに私(筆者)のいう「他人」とは、自分を除く全人類である。つまり、血縁者も他人。血の繋がっている人間と同じ家に住んでいる場合、風呂の湯を一人ひとり入れ替える……などというのは、たとえブルジョアであったとしても面倒だからやらないだろう。

私が子供の頃に住んでいた家の風呂事情もまたそうだった。でまあ、それが嫌でしかたなく、保護者に反抗できるようになった中学生の時点で入るのをやめたというわけである。そして、高校卒業後は渡米したため、元からシャワーの文化なのでノー湯船ライフを満喫。帰国後も、一人暮らしなのでシャワーのみ。


気づいたら、なんだかんだで最後に湯船に浸かってから20年ほど経過していたのだ。ちなみに、潔癖症の人にはよくあることだと思うのだが、NGなものには自分流の割と細かいルールがある。詳しくは語らないが、あなたが勝手に想像する潔癖症像が100%正しくないということだけは断言しておこう。この点に間違いは無く、人によって千差万別なのだ。

そういえば前に「他人が素手で握ったおにぎりを食べたがらない人に、握った本人である老婦人とモニター越しだかで顔合わせさせる」……という不愉快極まりないTV企画だかを見たことがある。私もまた、他人が素手で触った物は食べない派。

その時にターゲットにされた男性は、屈しておにぎりを食べてしまっていた。彼は覚悟と経験が足りなかったのだろう。修羅場も経験済みな20年来のベテランである私なら、関係者の体表の穴という穴からおにぎりをねじ込んで、二度とそんな企画をやる気など起こさぬよう修正してやったものを。

とにかく、私は上述な感じの人間なので、自分から進んで大衆浴場的な場所におもむくことはまず無い……はずだった。


・海が青かったので

ここから本題である。それは伊豆大島に行ったときのこと。緊急で予約した宿は風呂もシャワーも無い、ガチで素泊まりのもの。風呂が無いなら無いでまあ1日くらいは我慢できる。翌日の船で帰るのだからそこまで問題にもならない。

そのはずだったのだが、あまりにも海が青くて綺麗だったため、テンションが上がって飛び込んでしまったのだ。海はいいのだが、問題は海水から出てからである。おわかりだろう。全身ベトベトで、乾いて行くと共に塩の結晶やらがまとわり付きはじめる状態なのだ。これはいただけない。


水でもいいので、どこかシャワーはないものか……と思ったものの、どうやら営業しているのは町の銭湯じみた温泉のみ。背に腹は変えられない。この手の浴場の、脱衣所のびちゃびちゃな床なども不快極まりないが、そこは我慢しよう。それに、湯船に入らなければいいと考え利用することに。


中はまあ普通の中規模な入浴施設というサイズで、湯船があり、横には洗い場があるというスタンダードな仕様。いざ全身を洗い、さあ出るか……と思ったのだが、まあこの手の浴場では隣からの水しぶきやら泡やらがやたらと飛んできてかかる。潔癖症的にはそれもまた耐え難いバイオハザード。

洗う → 水しぶきやら泡が飛んでくる → 洗う → 水しぶきやら泡が飛んでくる の無限ループで永遠に出られそうに無い。これは洗い場に人がいなくなるまで待った方が良さそうである。が、ではどこで待つのか?

周囲を見渡すと、湯船はいくつかあるもよう。1つはおっさんでいっぱい。もう1つは良く分からないタイプのものだったが、とりあえずこちらもおっさんがいる。もう1つの、下から気泡が出てくる的なそういうタイプの風呂だけは何故かおっさんがいない。

今はおっさんがいないものの、あの湯船とて大量のおっさんのケツが触れ、その湯にはおっさんたちの下半身から滲み出るあらゆるものが混ざり合っているのだろう。駅やショッピングモールのトイレで容易に確認できることだが、おっさんというのはトイレで手すらろくに洗わないヤツだらけなのだ。

そんなレベルだから、湯船で何をしていたって不思議じゃないだろう。放尿するやつだって中にはいるに違いない。ああおぞましい。しかしこのまま洗い場で、隣で激しくタオルを振り回すおっさんから飛んでくる泡を浴び続けるのも不快。

少なくとも今は人のいないあの湯船に避難して、出る前にもう一度入念に全身を洗えば問題ないはず。こうして、計らずも20年ぶりに温泉にて湯船を体験することになったのだ。


・おっさん

そうしたらどうだろう。思いのほか気持ちいいではないか。なるほど、湯が身にしみるという言葉の意味するところを、生まれて初めて体験した気がする。でもやはり精神的にはゾワゾワする。

さっきまで無人だったのに、私が入ってすぐに、隣に別の小太りなおっさんが入ってきたのもまた不愉快だ。何だお前は。なぜ湯船に顔をつけている? おいやめろ。脂ぎった顔を湯船のお湯でゴシゴシやるんじゃあない……! しかも今度は何だ。水中で股間の辺りをモゾモゾと弄って……何をしているんだお前はァアアアアア!!

……ああでも湯は気持ちいい。しかもなんだか眠くなってきた。かなりの距離を歩き回った上に、海に入るなどして体力を消耗していたのだろう。精神的な嫌悪感は人類の滅亡を画策しはじめかねないレベルで高まっているが、肉体的には相当な快楽状態にある

これは辛い……どうしたものか。おや、今度は別のおっさんがやってきた。何をするのか……こっちには来ないでくれ……そう思って眺めていると、湯船には入ってこなかったものの、湯船から1メートルほど先で仁王立ちをキメるおっさん。

なんだなんだ? 意味不明な展開に警戒していると、おっさんは手にしていたタオルを広げ、股間を激しくタオルで引っぱたき始めたではないか。マジでなんなのだ? 頭がおかしいのか? 目的は全くわからないが、おっさんはとても激しく、そして絶え間なくパーン! パーン! と股間をタオルで引っぱたき続ける

しかもその際に、おっさんの股間に触れまくったタオルか、あるいはおっさんの股間そのものから飛沫が飛んできて顔にかかるのだ。この嫌悪感はもう人生史上トップレベルである。きっと潔癖症でなくとも、風呂で股間を叩くおっさん由来の液体を顔にかけられるのは嫌だろう。嫌じゃないなら、そいつはきっとどうかしてる。


・地獄

もはや精神と肉体の乖離(かいり)レベルはとんでもないことになっていた。そしてめちゃくちゃ眠く、股間を叩くおっさんの姿が時折ブラックアウトする。しかし洗い場はまだ人で埋まっているため、綺麗に洗って外に出るのは困難。もうしばし、この状況に耐えるしかない。

とてつもないレベルの生理的嫌悪感を感じながら、お湯によって肉体は快楽のただなかにあり、さらに眠気と戦わなくてはならない。これはガチにとんでもない状況だ。もはや拷問。あるいは地獄そのものと言ってもいい。これ以上こうしていたら、きっと気が狂ってしまうだろう。

精神はもろもろのせめぎ合いで崩壊寸前だったが、運よくそこで洗い場が無人に。どうやら閉店が近いらしく、すでに入浴客は全員体を洗い終えた状況らしい。どうにか理性をフル動員してヨロヨロと湯船から上がり、相変わらず股間を叩き続けるおっさんの横を抜けて洗い場に到着。プランどおりに全身をくまなく洗い、ほぼ閉店と同時に施設を後にした。

あぁ、やはり潔癖症たるもの大衆浴場など使うものではない。全く酷い目にあった。しかし湯船というのは、そして温泉というのは実にいいものだ。これだけならまた入りたいところ。

だがプライベートの温泉などそれこそブルジョアのものである。一般市民が温泉で湯船を利用するのであれば、それは大衆向けの共用のものしかあるまい。いいものと生理的にNGなものが常に一体とは……なんとままならないことか。地獄である。

執筆:江川資具
Photo:RocketNews24.