できるだけ良い就労条件、職場環境のもとで働きたいのは誰もの願いだ。とはいっても、なかなかそううまく行かないから、就職活動は難しい。それがアルバイトとなると、さらに劣悪な環境に遭遇することもある。

きっと誰でも、1度はギョッとするようなバイト先に当たったことがあるはずだ。実際に身近な当編集部に関わるメンバーに話を聞いたところ、「そんなことってある!?」と思うようなムチャな話がわんさか出て来た!

・バイトでの経験談

この問いをメンバーに投げかけた私(佐藤)のエピソードから紹介しよう。


■佐藤英典の場合

年齢:31歳頃、業種:レストラン派遣
「高級会員制クラブのレストランに派遣で入っていた時のことだ。そこは芸能人も利用していた、知る人ぞ知る会員制のクラブ(スポーツジム)だった。

創業当時の会費はビックリするほどの金額だったそうだが、私が派遣で入っていた時には経営難に直面しており、レストランの仕入れもままならず、クリスマスにシャンパンを入荷できなかった。お客さんから1万円札を渡されて「お前が今買って来い」と言われたことは一生忘れない。ここで毎日有名人のお客さんを接客していたことが、いまだに信じられない」


江川資具の場合

年齢:19歳頃、業種:米LAの日本料理店スタッフ
「学生ビザでの違法就労なので、雇用条件もアウトロー。時給は最低賃金をはるかにぶっちぎり、雀の涙どころかミドリムシの涙レベル。それでもディナーでお酒を飲んだ外人客のチップの羽振りの良さが半端なく(1テーブルで数百ドル)、チップは現金でそのまま全部渡してもらえていた。そのため週に数日しか入っていないにもかかわらず、月収的には日本円にして最大で20万越えも。帰国してから普通に就職した時よりも労働時間に対する収入は良かった。

その当時、エンジンから火が出たりタイヤが取れたりするどうしようもない中古車に乗っていたのだが、バイトの日に店の近くで車が故障。店長に車が故障した旨を告げると、とりあえず車はその辺に放置して、深夜に別の車で後ろから押して運ぶというクレイジーすぎるアイディアが。

それは実行され、深夜のLAダウンタウンを車で車を押して走ったのだが、極まれにすれ違う他のドライバーたちも「YEEEEAAAAH!」となぜかテンションがブチ上がっていたところにUSAのデカさを感じた。また、車のバンパーがここまで実用的に活用された場面も、あれ以来見ていない」


P.K.サンジュンの場合

年齢:17~18歳頃、業種:工場スタッフ(生鮮品)
「通っていた高校の伝統的なバイト、それが「大根の皮むき」だ。年に1度、冬休みの間だけ高校のすぐ近くにある「刺身のツマ工場」でバイトするんだが、地味なうえに結構きつかった。ある人は流れてくる大根の皮をひたすらピーラーでむき、またある人はダンボールを組み立てまくる。結局どれだけの刺身のツマが完成したのかわからないが、少なくとも高校生だけで20人くらいはいたんじゃないかな?

正直、かなり短期のバイトなのでハプニング的な要素はなかったが、それでも高校生にとっては「お金を稼ぐのは大変」と実感できるいいバイトだったと思う。そうそう、正月明けはお年玉で1万円もらえるんだけど、それが嬉しかったなあ」


砂子間正貫の場合

年齢:22歳、業種:イベントスタッフ
「大学生の頃に登録していた派遣バイト。慢性的に人材が不足していたため、いつも「仕事依頼は突然に」だった。衝撃だったのは、数時間後に都内ホテルで開催される『スコッチウイスキーのテイスティングイベント』で、講師を務めるスコットランド人の “助手” をしてほしいと頼まれたこと。

わけも分からぬまま、横浜から都内ホテルへ直行。スカートのような伝統衣装を着ているおじさん(スコットランド人)から自己紹介をされ、そのままイベント会場へ。助手である私の役目は、講師が「スランジバー(乾杯)」と言ったら、PCのエンターキーを押して動画を再生するだけ……。ビビっていた割にスゲー楽。あれで1万5000円もらえたのはアツかったなぁ」


K.Masamiの場合

年齢:21歳頃、業種:お寺の拝観受付
「お寺の中では、そこそこ偉い地位にある坊主に言われて、始業と同時にタバコとスポーツ新聞を、寺から数分のところにあるコンビニに買いに、自転車で行かされていた。毎度ではないにせよ、頻繁に買いに行っていたように記憶している。

「これは拝観受付バイトの仕事なのか」と最後まで疑問だったけれど、そんなことを言える雰囲気でもなく黙って言うことを聞いていた。買ってきたものを渡すと、拝観者も行き来する場所でプカーっとタバコを吸っていて……そりゃ坊主もタバコは吸うだろうけど、もう少し場所をわきまえたらよいのにと最後までモヤモヤした」


原田たかしの場合

年齢:18歳頃、業種:土木建設作業員
「川の整備をするため、水に落ちるか落ちないかの場所で作業していたときのこと。敷き詰める石を一輪車に乗せて斜面を運ぶ……。というアクロバティックな運び方をしていたら、上にいる現場監督が手を滑らせてしまった。

下にいた連中は落石を避けようと川にドボン! 浅くて怪我はなかったものの、ずぶ濡れのまま作業するハメになった。ただ、あとでゴメンともらった缶コーヒーはいい思い出。手を滑らせたのは、腰痛に耐えきれなくなったかららしい」


亀沢郁奈の場合

年齢:18歳、業種:生活雑貨店スタッフ
「当時「エントリーでバイトしよう」という日雇い派遣のテレビCMが流れまくっており、18歳で上京してすぐ登録しました。初めて派遣されたのがそのお店で、今は知りませんが当時は「日本で一番売り上げている店舗」といわれました。フロアが超広かった覚えがあります。

そこの指導が今だったら絶対アウトな厳しさで、「フロアを歩くの禁止(常に猛ダッシュ)」、「呼ばれたら10秒以内に来い」、「声出し(絶叫)を5秒休んだら罵倒される」、「あの商品はどこにあるかクイズを急に出題され、答えられなかったら商品が飛んでくる」など、日雇いとは思えない仕打ちで衝撃的でした。たぶん某国の軍隊より厳しかったと思います。

その日、日雇いで派遣されたのは15人くらいいたのですが、10人以上が途中で帰りました。店の人と殴り合いになりかけた子もいてカオスでした。それがトラウマとなり、私はそれ以降1度も昼間のバイトをしたことがありません」


hiraziの場合

年齢:22歳頃、業種:アパレル店員
「ブランドから販売代行を請け負う会社にやとわれて、某ファッションビルの某ブランドで土日祝限定の販売員をしていました。とある給料日、銀行口座を確認してみたところ給料が1円も振り込まれていません。なんの連絡もありません。心配になりつつも、翌日まで待ってみることにしましたが、翌日になっても振り込まれず、さすがにこれはおかしいだろう! と社長に電話しても出ません。ひたすら鳴らし続けても出ませんでした。

当日か後日か忘れましたが、やっと社長から電話がかかってきたと思ったら、「税理士の先生にお願いしていてその先生がbあgらw子prあうぇ……」と何やら難しいことをいわれて、20ちょいの僕は煙に巻かれてしまいました。結局振り込まれたのはそれから数日後です。

その後、僕はその会社を辞めたのですが、しばらくして同じファッションビル同フロアの別ブランドの人から声がかかり、そちらでバイトをすることになりました。前の職場の方も同フロアで、働かせてもらった恩もあるからと思い、未払い問題があった会社のマネージャーに挨拶にいったら「お前はしっかり義理を通したな」と任侠みたいなことを言われて、あっ……なんか、上層部はちょっとグレーなのかなと、感じた体験がありました」


百村モモ(Pouch編集部)の場合

年齢:20歳、業種:映像編集
「動物のボランティアで出会った男性から「教育映像の編集アルバイトをしてほしい」と相談を受けて、言われた住所に向かったら雑居ビルの一室で、所狭しとPCが置かれ、死んだ顔のスタッフとゴミの溜まった台所シンクが印象的だった。

やれと言われた映像編集はAV(アダルトビデオ)のモザイク処理。映像編集が得意だったけどAVみたことない私は頭真っ白。アダルト雑誌のおまけDVDだった。話が違うので帰りますって話したら、脅されまくってなんとかランドセルの映像に回してもらい、お土産にAVのDVDもらい、数年後にその会社の社長に偶然再会し「騙してごめん、嫉妬していた。俺は離婚されて子どもがいた。辛かった」と言われて知らねーよって思った」


いのうえゆきひろの場合

年齢:21歳、業種:居酒屋スタッフ
「大学生のときチェーン店の居酒屋のバイトで働き始めたときのことでした。その当時、お店で食の安全管理が問題になり、全店に品質管理を徹底する通達が届きました。しかし当時の店長がめちゃくちゃで、従業員みんなを集めて自分で「俺の目の前で品質管理をおろそかにしたやつは許さん」と宣言した直後、別のバイトが「鶏肉の串が傷んでいてちょっと臭いです」と報告すると、「ああ? 仕入れになんぼかかる思うねん。洗って使え」と驚きの命令を出していました。

そんなヤバい店長の抑圧を受けて、従業員のみんなは店長がシフトで休みのときに、業務中にふざける悪癖がついていました。当時の社員さんが僕に向かって「うちで串を焼きたいなら、メラゾーマを使えないと1人前として認められん」といい放ち、串からしたたる油を使って焼き台で見事な火柱を立てていました。お客さんが見える場所で堂々とやっていたので、今ならば大問題になったはず。

その後、僕は頑張ってメラ程度の火柱を立てることに成功し、ご褒美にカルーアミルクのただ酒を飲ませてもらいました。その翌週、店長からパワハラを受けまくって、バイト1カ月で辞めました」


御花畑マリコ(Pouch編集部)の場合

年齢:大学時代、業種:出版社
「エロ系の出版社に就職した先輩の依頼で、熟年層向けのアダルト雑誌のアンケートハガキの集計を何度かやった。アンケートの中でも特に重視されていたのが自由記入欄。「最近、黒パンストが多いけどベージュのパンストのカットを増やしてほしい」といった細かい要望が多かった。

一番驚いたのが読者プレゼントの希望で「生脱ぎパンティやパンストだけではなく、マン拓(魚拓のように女性の大事な部分に墨をつけて拓をとる)が欲しい」という解答が複数あったこと。50〜60代の男たちの夢と欲望がつまった解答をエクセルの表に必死に打ち込みながら、性の深淵を覗いた気持ちになった


中澤星児の場合

年齢:25歳頃、業種:メールオペレーター
「25歳頃にバイト雑誌を見て応募したこの仕事。渋谷の雑居ビルの1室に出社する形だったのですが、15畳くらいの中に17人いて、そのチームをギャルとチャラ男がまとめてました。忙しい職場で休む間もなくメールを送り続け、終わる頃には精神的にヘトヘトだったのを覚えています。

私が入って1カ月くらいしたある日のこと。職場に出社すると、机やパソコンが綺麗さっぱり無くなってました。空のハコのようになった部屋……。もちろん人っ子1人いません。そう、夜逃げでした


働き方改革が進んで、ひどいバイトはなくなってくれることを願うばかりだ。


執筆:佐藤英典
イラスト:Rocketnews24