またしても痛ましい事件が起きてしまった。2019年5月28日、神奈川県川崎市の登戸駅近くで、登校中の児童ら刃物を持った男に襲われ、女児1人と保護者の1人が死亡、犯人とみられる男も自分の首を刺し、搬送先の病院で死亡した。

決してイイことではないが、もうこの手の事件は幾度となく繰り返されてきたので、おそらく読者の中には「慣れてしまった」という方もいらっしゃることだろう。だが、2歳の娘を持つ私、P.K.サンジュンはすぐにこう思った。「娘が小学生になったら送り迎えも俺がやるしかない」と。

・他人事じゃない

おそらく今回の事件が起きた今日現在でも、日本は「世界有数の治安のいい国」であろう。真夜中にほっつき歩いても事件に巻き込まれる可能性は低く、基本的に一般人は誰も銃を所持していない。よほどのことじゃない限り、事件で命を落とすことはないハズだ。

ただ、ここ数年「よほどのこと」がそれなりの頻度で起きている。今回の事件もそうだし、4月に池袋で起きた自動車暴走事故もそうだ。もちろん「運が悪かっただけ」という人もいるだろうし、言わんとすることはわかる。かくいう私も数年前まではそう思っていた。


だが、2歳9カ月になる娘がいる今、そうも言ってはいられない。娘に起こるかもしれない “万が一” の可能性を少しでも低くできるのであれば「なんだってする」というのが率直な感情だ。

・俺が何とかするしかない

娘は現在、乳児保育園に通っている。向こう3年は(見つかれば)保育園に通う予定だから、その間は私と妻が送り迎えをすることになるだろう。その先、どこの小学校に通うかは完全に未定だが、仮に徒歩圏内の小学校であろうと、私が送り迎えをするしかないのではなかろうか?

こういう事件が起きると「格差社会がうんぬん」とか「加害者は社会的弱者で〇〇」などという人が必ずいる。そういった人へのケアが必要なことも理解できるし、大切なことだと思う。そしてそういった小さな積み重ねこそが、悲惨な事件を未然に防ぐに違いない。

ただ、実際に娘がいる立場の私からすると「それはそれ。俺は何とか娘を守らなきゃ」ということで精一杯になってしまう。お恥ずかしい話ではあるか、これが私のキャパの限界。今はただ「娘が小学生になる頃、どうしたらそういう生活ができるか?」を考えている。

人間を信じなさい。そしてこの世界を信じなさい。できれば娘にはそう教えたいと思う。私がしようとしていることが、その真逆であることは百も承知だ。だが、私ができる事をしなかったせいで娘に何かが起こったとしたら……。私は生きていけないと思う。

参照元:朝日新聞
Report:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.