日本一の漫才の賞レース・M-1グランプリ。毎年、テレビ朝日系で放送されるこのコンクールは、お笑い好きに限らず年末の風物詩となっている。その熱ゆえか、毎回放送後に高まるのが審査員への批判

今年もネットでは上沼恵美子さんや立川志らくさんの審査に不満の声が相次いだ。そんな2018年12月3日、上沼恵美子さんが審査員からの引退を発表。マジかよ!? 恵美子やめんな

・審査にあがる批判の声

思えば、去年もマヂカルラブリーに「好みじゃない」と言い放った上沼恵美子さんの審査には批判の声があった。今年のM-1においても、ギャロップには自虐ネタであることを怒りつつ、同じく自虐ネタであるミキには高得点をつけるなど「単なる好き嫌いではないか?」との批判があがっている。

しかし、私(中澤)が今年のM-1を見ていて思ったのは、「審査員に上沼恵美子さんは必要だ」ということだった。

・漫才とは

まず、M-1はただのネタ見せ番組ではなく「漫才のコンテスト」である。フリがあってボケがあってツッコミがあるのが「漫才」だ。そこには起承転結がありストーリーがある。2人の話芸で作り上げていくストーリー……それが漫才なのだ。

M-1が漫才のコンテストである以上、そういったフリから回収までの流れの美しさも評価軸の1つに入ってしかるべきと思う。「よくできた漫才」というものが評価されないとおかしい

・上沼恵美子の言う「好み」の意味

「好み」という言葉を使うので人の好き嫌いで選んでいるように捉えられるが、上沼さんの言う「好み」とはすなわちこの「漫才としての美しさ」を指しているのではないだろうか。その証拠に、いわゆる基本的な漫才の型を踏襲しないジャルジャルには「ジャルジャル自体は好き」だとしつつも点数は低い。

とは言え、お笑い芸人である以上「ウケる」か「ウケないか」が大事なことは変わらない。そこで、同じ自虐でも、クオリティーの高い漫才だったミキも高評価だったのではと思う。ジャルジャルの件もあり、私には、上沼審査に私情は一切入っていないように見えた

・漫才を審査するということ

会場の笑いに流されず、クオリティーの高い漫才を正しく評価するという意味において、今年のM-1で上沼恵美子さん以上に公平な審査をした人はいなかったのではないか? M-1が「漫才」と銘打つコンテストである以上、審査員にはそういう切り口で審査をする人がいても良いと思う。

もちろん、これはジャルジャルやトム・ブラウンのような基本的な漫才の型を踏襲しない漫才がダメだという話ではない。あくまで、漫才コンテストである以上、そういう見方も必要という一意見なのでご理解いただけると幸いだ。

執筆:中澤星児
イラスト:マミヤ狂四郎

▼ぬりえもあるぞ