イジメって本当になくなりませんよね。私(中澤)は中学1年の時にイジメられたことがありますが、今でもイジメたM君の顔と名前が忘れられません。もちろんやられたことも

休み時間ごとに膝蹴りされたり、ノート破られたり、体育の時間に目に小石を投げられたり色々されたなー。それで、なんとかしようと悩みぬいて、結局チクった時に、2人で呼び出されて教師が言ったのが「Mも反省してるから許してあげろ」というセリフ。これって暴力的な言葉だと思いませんか

・約20年前の片田舎の学校で

野球部でヤンチャなタイプだったM君。20年くらい前の大阪でしかも田舎なので、ヤンキー文化もバリバリあって、クラス内ヒエラルキーはケンカ強そうな人は一目置かれている感じだったように思います。井筒和幸監督の『岸和田少年愚連隊』の雰囲気はリアルですね。

当時の私は、オタクまで行かなくても大人しいタイプだったため、教師にもあんまり覚えられてなかったように思います。なぜイジメられたのかは本当のところよく分からないんですが、M君は別の小学校だったため、「はじめまして」から1カ月たらずで膝蹴りとかされてた気がします。

・親にも気を使う

親に言えなかったのは、子供ながらに「親を心配させたくない」というのと「親を巻き込みたくない」と気を使ってました。イジメられてるとか恥ずかしくて言えないっていうのもあったかも。また、周りに学校カーストの1番下と認識されるのも怖かったです。

・事件が勃発

イジメられ始めて半年くらいのある日、休み時間中に次の時間の宿題をやっていると、M君が私のところに来てノートを取り上げ、破り捨ててゲラゲラ笑いました。授業中、教師に宿題を忘れた理由を問いただされる私。ついつい、ポロッと真実を口にしてしまいました

「M君に破られました」と。一気に険しい顔になる教師。あ……やってもうた。当時、学校カーストでチクる奴は重罪人みたいな雰囲気がありましたが、時すでに遅し。M君と私は、そのままなぜか中庭に連れて行かれました

・注目の的

校舎に囲まれた中庭。隣のクラスも、隣の隣のクラスも2階も3階の教室からも、とにかく1年から3年まで全部から丸見えの中庭。あわわわ……エライことになってもうた。実は隣のクラスに好きな子いるけどもう無理やん……。

そう考えながら白目で教師の話を聞いていると、隣でハキハキ謝るM君の声が聞こえました。その野球部で培ったようなハキハキした雰囲気に感化されたのか、徐々に収まっていく教師の説教。そして、ひと通りM君に説教し終わった後、教師は私の方を向いて言いました。


「Mも反省してるんだから許してあげろ」と。


ダメだこりゃ。この数分間の説教で、教師にそれを言うだけの何が分かったというのか。私の人生において、今後20年忘れられない出来事になる事件の概要が何か1つでも伝わったのか

・圧力

でも、ヒシヒシと感じるのは「無理です」と言えない無言の圧力。ここで「許せない」と言おうものなら、教師的にもこれを見てる学校全体的にも一気に悪者は私になるだろうということは中学生の頭でも理解できました。


「分かりました」


教室に帰る途中、「あとで覚えとけよ」と耳打ちしてくるM君。ほら、何も意味ないやん

・他人事でしか出ない言葉

結局、中学2年生にあがって別のクラスになるまでイジメは続きました。もちろん、1番悪いのはM君ですが、教師の暴力的なひと言も忘れることはできません。加害者がいくら「反省」していようと加害した事実とは別問題。被害者が許すかどうかは自由なのです。

にもかかわらず、その言葉を出すことにより、とたんに「許さない方も悪い」という選択肢ができることに私は疑問を感じずにいられません。ちなみに、あとで知ったことですが、M君は私以外に同じクラスの別の男子もイジメていたようで、その子は登校拒否になりました。

・殴らない暴力

きっとM君は忘れていることでしょう。でも、私は多分死ぬまで覚えている。そんな経験をした私は、『反省してるから許してやれ』も『ケンカ両成敗』も殴らない暴力だと思わずにはいられません。

イジメが社会問題となって久しいですが、いまだにそういった考えをお持ちの方は、ぜひ1度考えてみてください。本当に2人とも悪いのか? 本当に加害者を許すべきなのかを。

執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.