本日2月2日は「おじいさんの日」だ。これは伊藤忠食品が制定した記念日で、「じい(2)じ(2)」の語呂合わせから来ているという。おじいさんと言えば、みなさんの祖父はお元気だろうか。私(中澤)の祖父は、高校生になったくらいの時に他界した。

生まれてからずっと同じ家で生活していた祖父。しかし亡くなるその時まで、私は祖父がどんな人間だったのかイマイチよく知らなかった。思い返してもほとんど話した記憶がないのである。そんな祖父が使っていたベッドで、衝撃の遺品を発見した時のことを話したい。

・母方の祖母と父方の祖父との同居生活

先に断っておくと、別に家庭が崩壊してたとかそんな話ではない。私の家はごく一般的な家庭だった。ただ、少し変わっていたのは、母方の祖母と父方の祖父も一緒に住んでいたこと。当時は普通だと思ってたけど、今考えると、母方の祖母と父方の祖父って他人やん

両親は共働きだったため、祖母が私の面倒を見ながら家事を回していた。そんな祖母は死ぬほど気が強くて頑固。まさに鬼ババアだった。祖父があんまり話さなかったのは、無口という以外に案外ビビっていたのかもしれない

・祖父の他界

家でほとんど話さない祖父は、保育所の帰りに迎えに来てくれた時も話さず黙々と歩く。中学の時、祖母が死んで、家には祖父だけになったのだが、その時も話した記憶がほとんどない。そして、ほどなく祖父は他界。

涙は一滴もこぼれなかった。家族が死んだのに泣かないのは人としてどうなのか? そんな葛藤(かっとう)のような空気のようなものに首を絞められているようだった。しかし、いくら必死に祖父とのことを思い出したところで何も思い出せないし、やっぱり涙は出てこない。むしろ、涙が出ないことの方が悲しかった

それもそのはず、私は祖父の名前も知らなかったのである。そんなことに気づいたのは、葬儀でお坊さんが名前を読み上げた時だった。

・話さない祖父が大切にしていたもの

葬儀が終わっても、日本人形やフランス人形、仏壇が飾られている祖父の和室には、まだ祖父がいる気がしてならない。遺品の整理もまだの和室で、ぼんやりとそんなこと考えていた時、私は衝撃の遺品を見つけてしまった。ベッドの引き出しに大事そうに保管されていたものとは……

「ごはんですよ!」だった。カッピカピに干からびた海苔の佃煮「ごはんですよ!」がベッドの引き出しの奥から出てきたのである。なんだこれは? なぜ居間の冷蔵庫ではなく、祖父のベッドの引き出しから「ごはんですよ!」が出てくる?

祖父はそんなに「ごはんですよ!」が好きだったのか……いやしかし、食べているところを見たことがない。もしや、これは祖父の一世一代のボケなのか。いずれにせよ笑った。やるやん!

そんな私も、今では海苔の佃煮が大好き。ほとんど話した記憶がなくても、祖父の血は確実に受け継がれているようである。

執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.