第1回 ミントはどこに消えた? 文学賞応募作品『バカダモン』

「またなの。これで何度目かしら?」

声をかけてきたのは、すぐそこのスナックのママだ。長年お店をやっているらしく、この界隈の顔役として知られた女性だ。新参者に厳しいことで有名で、こういう時に限って、優しく接してくるところが気に食わない。

「もう3回目ですよ。本当にいい加減にして欲しい」
「あなたのお店だけでしょ? 店先の鉢植えが盗まれるの。何か恨みを買うようなことでもしたのかしら?」

人の不幸は蜜の味とは良く言ったもんだ。悲嘆に暮れる相手の背中を蹴るような真似を、嬉々としてしやがる。まあ、この人に腹を立てたところで、鉢植えの盗難がなくなる訳じゃなし。

こんな底意地の悪い婆さんでも、素直に話を聞く相手がいる。うちの店にも週に1度は顔を出す医者先生だ。先生は気のいい人で、俺が店を開けた当初から何かと声をかけてくれた。ロマンスグレーという言葉が似合う老紳士。いつもハットを被って背筋をピンと伸ばして歩く様は、憧れさえ抱く。こんな爺さんになりてえもんだ。

「またやらましたか。困りましたなあ」

医者先生は季節を問わず、キンキンに冷えたモヒートを飲むのが習わし。ミントが切れていると大層残念な表情を浮かべて1杯で帰ってしまう。栽培しているものがあれば良いのだが、ここのところハーブを立て続けに盗まれてしまい、安定供給できないのだ。できることなら医者先生の残念な顔は見たくないのだが。

ある日のこと、婆さんが妙なことを言い出した。健康にはハーブティーがいい。受け売りのようなこの言葉は、医者先生から聞いたもののようだ。酒好きが高じてスナックやってるのに、今更健康を気にするものかね。まずは酒とタバコを止めるべきだと思いながらも、調子だけは合わせておいた。

「あなたもハーブティー、飲んだ方がいいわよ。あら、植えてらしゃったものはなくなっちゃったわね。御免あそばせ」
何が言いたいんだか……。

婆さんがこう言いだした頃から、婆さんの店先に変化が現れた。鉢植えを置き始めたのである。気のせいかもしれないが、うちに最近まであった鉢植えと似ている……。まさかそんな見えるところで、盗んだ代物を置く訳がない。いくら気の悪い婆さんでも明け透けにそんなことするかね。気のせいだとは思ったが、やっぱり似ている気がしてならない。

「どうされたんですか? 鉢なんか置いて」
「ハーブ買ってくるより、栽培した方が安くつくでしょ。手頃な鉢を見つけたから、うちも栽培することにしたのよ」

良く見ると、その鉢は塗り替えられたような雰囲気だった。益々怪しいがそれ以上は深入りしなかった。

俺も気を取り直して再びハーブを育てることにした。以前はミントとバジル、ローズマリーと決めていたのだが、今回から新しい仲間を迎えることにした。それは南米に生息する「バカダモン」だ。この植物はミントに良く似ているが、毒性が強い。大昔にこの植物をすり潰したものを矢の先に塗り、狩りに用いられていたのだとか。わずかな量で牛一頭が死んでしまうというから相当なものだ。

もしもまたハーブを盗まれるようなことがあれば、犯人は毒草を持ち帰ることになる。どうなるかわからないが、ミントと同じように使えば罰が与えられることになるはず。盗まれることは腹立たしいが、溜飲が下がるというものだ。次の犯行はそう日を待たずに起きた。

新しい鉢をそろえた翌日、いつものように夕方店に来てみるとすでに4つの鉢がなくなっていた。チキショー、買っても買っても盗まれるんなら、もう鉢を並べるのはやめるか。一瞬そう思ったのだが、今回はこれまでと違う。何かしらの変化が起きるはずだった。鉢があった場所を見下ろすようにして突っ立っていると、婆さんがやってきた。また嫌味のひとつでも言われるのか? と思っていると、婆さんが泣いているじゃないか。

「どうしました?」

力なく肩を揺らして涙するその様からは、普段の憎たらしさは微塵も垣間見えない。

「あの人が亡くなったって。先生が亡くなったんだよ」

なんてこった、憧れの医者先生が……。「バカダモン(Bark at the moon )」よろしく今夜は吠えるか……。

執筆:佐藤英典
Photo:Rocketnews24

▼ここに置いてあった鉢がなくなったそうだ
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