シリアで武装勢力に拘束され、つい先日解放されたフリージャーナリストの安田純平さん。1人の人間の命が救われたことは素直に喜ぶべきことであるハズだが、インターネット上では安堵の声もある一方で『自己責任問題』が話題となっている。

そんな中、この問題に対し一石を投じたのがメジャーリーガー「ダルビッシュ有」さんだ。ダルビッシュさんは自身のTwitterで「一人の命が助かったのだから、自分は本当に良かったなぁと思います」と切り出し、以下のような見解を述べている。

・自己責任論が飛び交う

安田さんに対する批判は根強い。その根本にあるのが『自己責任論』だが、安田さんを批判する人の多くは「自分で危険な地域に行ったのだから捕まって同然」「自己責任なのだから他人に迷惑をかけるな」という理論に基づき、非難の声を挙げているようだ。

さらに安田さんは過去に以下のようなツイートをしているため、批判の声はさらに大きくなっている。


「戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで行かせないようにする日本政府を「自己責任なのだから口や手を出すな」と徹底批判しないといかん」


さて、一連の件に対しダルビッシュさんは別のスタンスを取っている。以下で一部を抜粋しながらご紹介しよう。


「自己責任なんて身の回りに溢れているわけで、あなたが文句をいう時もそれは無力さからくる自己責任でしょう。皆、無力さと常に対峙しながら生きるわけで。人類助け合って生きればいいと思います」

「一人の人間が助かったわけでそれに安堵するのって変でしょうか? 後悔とか反省って自分でするもので、他人が強要するものではないと思うんですよね

「あの場所に命張っていける人間が世界にどれぐらいいるでしょうか。(もっと対策すべきというが)リスクはコントロールできないからリスクなんですよ


さすが “男の中の男” との呼び声が高いダルビッシュ……! ただ一方的に意見を述べるだけではなく、反論の声に対してもしっかり応対しているからエラい。中でも「後悔とか反省って自分でするもので、他人が強要するものではないと思うんですよね」は名言ではなかろうか?


個人的には自己責任を問う声が多いのはわかる。「自己責任」は日本人の美徳の根幹を成すものであり、基本精神だからだ。だがしかし、ここ数年は何でもかんでも「自己責任」で片づけてしまう風潮が強く、他人に対する寛容さが著しく失われている気がする。

もちろん自己責任は大切で、人間が備えておくべき基本精神であることは間違いない。ただ、人生には自己責任の領域を超えるトラブルが起こりうることもまた事実であろう。そんな “泣きっ面にハチ状態” のときに「自己責任」で追い打ちをかける行為は、果たして正しいことなのだろうか?

重ねて言うが自己責任の精神は尊重すべきである。ただ「自己責任」は正論であり、逃げ場がないパワーワードであることも忘れてはならない。自己責任は己の中に持っておくべきもので、他人を責める道具ではない……と個人的には考える。

参照元:Twitter @faridyu
執筆:P.K.サンジュン
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▼ダルビッシュさんのツイート。

▼安田さんの過去のツイート。それでも「自己責任」を他人を責める道具で使うのはいかがなものだろうか?

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