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薬物、ネット、買い物、大人のビデオ……世の中には様々な依存症が存在する。自分が抱える依存を自覚している人、全く自覚していない人、なんとなく不安に思いつつ無視している人など色々いるだろう。筆者にも、「あれは依存だったのではないか」とボンヤリ思い出されることがある。

それは「ヤマザキの大福」。筆者はかつて「ヤマザキの大福」に依存していたような気がするのだ。今回は、そのときのことをお伝えしたい。

・「ヤマザキの大福」でなければいけなかった

パンで有名な山崎製パン(以下、ヤマザキ)は、和菓子も取り扱っている。ヤマザキの「3本入りみたらし団子」や「月餅」「大福」なんかをスーパーやコンビニのパン置き場で手に取ったことがある人も多いはずだ。

今から約10年前、20代前半のある一時期、私は四六時中この「ヤマザキの大福」のことばかり考えていた。大の甘党である私は、日頃からチョコレートやアイスクリームなどを食べまくるが、そのときは「ヤマザキの大福」だけが食べたくて仕方がなかった。

しかも他の大福ではなく、「ヤマザキの大福」でなければいけなかった。「ヤマザキの大福」でさえあれば味は何でもよかった。プレーン、よもぎ、黒豆、黒糖……ただただ「ヤマザキの大福」でさえあればよかった。

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・食べると安心するのに、すぐに食べたくなる気持ち

健康に気を使って普通の食事をとりつつも、頭の中にあるのは「ヤマザキの大福」のことばかり。ネットリと甘い餡(あん)。手のひらサイズの充実した重さ。ビニールをむいて現れる柔肌。指につく白い粉。ピリピリとはがれる黒糖大福の皮……そんななんやかんやを、ずっと考えるともなく考えていた。

あの頃は、「ヤマザキの大福」を口の中に入れた瞬間が、何より幸せだった。いや、幸せというよりも、ホッとする気持ちのほうが近かったかもしれない。けれども食べ終わった途端に、ホッとした気持ちも消え、「もう1個食べたい」と思ってしまう。「ああ美味しかった」ではなく、「もうなくなってしまった。もう1個食べたい」と思う。

コンビニの扉を開け、あの棚の前に立ち、あの位置に手を伸ばして……と「ヤマザキの大福」を買う動作を脳内再生しては、今すぐ財布をつかんでコンビニへと駆け出したい衝動を身の内に感じていた。

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・決めていた「自分ルール」

そんな衝動を押しとどめたのが、自分で定めた “ルール” だった。「1度に買う大福は1つだけ」、「買いにいくのは1日に3回だけ」というマイルール。1度に大量の大福を買ってしまえば、すぐに食べ尽くしてしまうのは目に見えている。だから私は1日に3回、朝・昼・晩の3回だけ、コンビニやスーパーに出かけて「ヤマザキの大福」を買うことにしていた。

もちろん、欲望に負けて、大福を食べ終わった直後に同じコンビニまで「ヤマザキの大福」を買いに走ったこともあった。それでも、なんとかルールは守っていた気がする。

また店員に “大福女” と覚えられるのが恥ずかしかったので、同じ店で何度も買わないように気をつけていた。が、効果のほどは分からない。

・食べるときの “苦しさ” と、食べていないときの “苦しさ”

正直言って、そんなふうに「ヤマザキの大福」に捕われた毎日は暗かった。「ヤマザキの大福」は甘くて美味しいのに、食べても食べなくても苦しい気持ちがしていた。

“食べるときの苦しさ” と “食べていないときの苦しさ” は、ちょっと種類が違っていたように思う。食べるときの苦しさには罪悪感が伴い、食べていないときの苦しさは「ヤマザキの大福」が食べられないことへの焦りがあった。どちらの苦しみがマシかは分からない。

ただ当時の私は、美味しいけれど苦しい「ヤマザキの大福」から逃れるように公園を歩き回っては時間をつぶしていた気がする。

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・いつ始まり、いつ終わり、どれだけ続いたのか覚えていない

……そんな「ヤマザキの大福」の日々がいつ始まり、いつ終わったか、また、どれだけ続いたかさっぱり覚えていない。ある日突然、大福はもういらないと思ったのか? それとも潮が引くように、欲望が消えていったのか? どちらか定かではない。あの当時のことは、よく覚えていない。

「ヤマザキの大福」にそこまでハマってしまったキッカケがあるはずなのだが、それも思い出せない。思い出の中の私は、気付いたら「ヤマザキの大福」の沼にハマっていて、気付いたら抜け出していた。

ただ「ヤマザキの大福」に対する欲望の感触は、生々しく残っている。今でも「ヤマザキの大福」を食べる機会はあるが、当時の “美味しいけれど苦しい” という感情を一緒に思い出しては胸の中がモヤッとするので、あまり手に取らないようにしている。

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・ただの “ヤマザキの大福が大好きだった人” の可能性も

「ヤマザキの大福」の思い出は以上だ。「こうやって克服した!」などと生産的なことは何1つ書けていないが、この広い世界には、苦しい気持ちと共に「ヤマザキの大福」のことだけを考える状態の人がいるかもしれない。「ヤマザキの大福」ではない別の物に、苦しい気持ちを抱いている人もいるかもしれない。

当時の私が、自分と同じような気持ちに捕われている人がいると知ったら、少しは苦しい気持ちも変わっていたのではないか……と思い、今回の文章を書いてみた次第だ。

まあ、病院に行った訳ではないので、あれが本当に “依存” だったかは定かではない。ただの “ヤマザキの大福に一時的にハマりまくってしまった人” だけという可能性もあるのだが……。

執筆:小千谷サチ
Photo:RocketNews24.