kamosujinjya1

夏休みに突入した。この頃になると必ずといって良いほど、地方出身者は言われることがある。「盆は帰省するの?」、これはまあいい。スケジュールの確認なので、何も問題はないだろう。だが、これに続く言葉がある。「田舎がある人はいいなあ~」とか、「田舎暮らしに憧れるわ~」、とか……。おわかり頂けるだろう、こういうことを言うのは、都会出身。都内であれば東京出身者である。

・越して来いや~ッ!

何の混じり気もなく、純粋な気持ちからこれらの言葉を発していると思うのだが……。地方出身者は「いいとこだよ~、いつかおいでよ~」と取ってつけたようなことを言いながら、こう思っている。「じゃあ、住んでみろや! 田舎がいいなら田舎に越して来いや~!」と。

・見ているものはメルヘンだ

あの遠い目をして、田舎に憧れるさまは何なのだろうか? その目の先に見ているものは、完全にメルヘンだ。お花畑とかで虫カゴと網を持って、「あはははは~♪」とか言いながら、駆けている光景を思い描いているとしか思えない。もしくは海の浅瀬、または河原で恋人と水かけっこをしながら「やったな~」とか言っている光景を見ているに違いない。

・追想、その影響

これはおそらく、ドラマや映画・アニメで描かれたシーンの追想にすぎないだろう。そんなメルヘンチックな田舎など、どこにもない。もし仮にあったとしよう。そんなロマンチックな日々は一生のうち1日あるかないか。大抵の人は1日あれば、その日々を心のなかに携えて、先々の人生を暮していけるレベルである。もっと生々しい日々が現実であることを忘れてはならない。

・観光の延長に暮らしがある訳ではない

もうひとつ、きっと思い描いているであろう場面がある。山奥の旅館で五右衛門風呂にでも入って、ぽっかりと夜空浮かんだまん丸いお月様だ。つまり観光の景色を生活の一部と誤解しているケースである。あえて言おう、それこそが田舎に対する誤解であると。現実から離れた観光気分であるからこそ、そんな誤解が生まれる。要するに観光で田舎に行きたいと言ってるだけで、暮らすのは本意ではないのだ。

・都会の機能性を捨て去る覚悟

むやみやたらに田舎に憧れる人には、ぜひとも考えて欲しい。電車は1時間に1本。デートは海か山か郊外型のショッピングモール。民放は2~3局。夜の街は基本的に真っ暗。飲みに行くとしたら、代行を呼ぶのがマスト。ところによっては青年会への加入が必須。コンビニにさえ車で行かなければならない。などなど。挙げ出したらキリがない。都会で享受している暮らしのすべてが、都会であるがゆえという現実をまざまざと見せつけられるはずだ。

・最後に一言

それでも田舎暮らしに憧れるのか? それでも田舎があるということに、羨望を抱くのか? 都市の機能を捨て去る覚悟があるのなら、いつでも引っ越してしまうがいい。田舎は必ずあたたかく迎えてくれるぞ。ただし「やっぱ不便だわ~」はナシな。

執筆:佐藤英典
Photo:Rocketnews24