【コラム】ご先祖様は忍者だと信じていたのに「酒を飲み過ぎて片目を潰した流浪のラッパー」だった(その2)
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元祖羽鳥商店に住み込みで働いていた瓦職人モリマッツァンは、いつしか羽鳥家の末娘と恋仲になる。やがて結婚、すぐに子供を授かった……が、出産と同時に母親は亡くなってしまったという。今ほど医療が発達していなかった時代の悲劇である。

ということで、いきなりシングルファーザーになってしまったモリマッツァン。近所の人も羽鳥家も、誰もが「アル中の独眼竜モリマツに子供を育てられるのか?」と、ハラハラドキドキしていたという。そして、娘を亡くした羽鳥家の主は、こう提案した。

「モリマッツァン、子供はウチ、羽鳥家で育てるってのはどうだろう? 養子として迎えたい」──と。

モリマッツァンの返事はモチロンOK。「ありがてぇ、ありがてぇ、よろしくおねがいしますだ」と涙しながら、どこか遠くに消えて行き、最終的には消息不明……というカッコいい流れ者ストーリーだったが、実はその後も近所に住んでいたとの仰天スクープが、つい数年前に判明した。

・イケイケドンドン羽鳥商店

それはさておき、羽鳥家に託されたモリマッツァンの息子「宇三郎(うさぶろう)」は、その後も羽鳥家の家族としてスクスクと成長。大人になると、たぐいまれなる商売センスを発揮して、元祖羽鳥商店を数倍の規模に成長させたのだという。

その宇三郎さんの息子が、私の祖父「留男(とめお)」である。祖父は戦後に “丁稚奉公” をするため上京し、西日暮里の瓦屋で修行を重ね、映画『三丁目の夕日』時代の中目黒に、瓦問屋「羽鳥商店」をオープンさせた。父親譲りの商売センスで、全盛期には目黒区の高額納税者リストに祖父の名前が載ったほど。そして父が生まれ、私が生まれ……羽鳥商店も安泰かと思いきや!

・瓦の時代の終焉とともに羽鳥商店も終了

1995年の阪神・淡路大震災を境に、屋根瓦は “屋根が重くて家がつぶれる” とのイメージがついてしまったのか、売上は徐々に低迷していった。それと同時に、地価の高騰。さらに家の両隣をパチンコ屋に挟まれて、「このまま中目黒の駅前一等地で瓦屋を続けていくのは狂気の沙汰」という状況になってしまった。

その後、世田谷区に引っ越して、右肩下がりな瓦問屋を細々と続けていたが、あまりのヒマさに親父が自給自足のための野菜を育て始めるほど瓦が売れなくなってしまったので、2006年に店じまい。私の代になる前に、瓦問屋「羽鳥商店」は、100年以上の歴史に幕をおろしたのである。世が世なら、いま私は屋根瓦を運んでいたかもしれない。

・モリマッツァンの遺伝子

ともあれ、私のご先祖様は忍者ではなかった。酒を飲み過ぎて片目を潰した、ラッパーみたいな名前を持つ、フリーダムすぎる流浪者だったのだ。そんな彼のことを、私は MAJI の MAJI でリスペクトしている。

私が酒好きなのも、わりとテキトーな性格なのも、海外をフラフラと放浪したのも、最近、片目の視力が落ち始めていることも……もしかしたらモリマッツァンの影響なのかも知れない。自由に生きたご先祖様・モリマツ☆オリマツ。忍者よりも、私は好きだ。

執筆:GO羽鳥
Photo:RocketNews24.

▼瓦って、実はメチャメチャかっこいいんだよ
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▼ご先祖様に感謝
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