6e1fdf79gw1ek4v0ulzv2j20c8095jsl

日本語で「辺見須恵子さん あなたはいまどこにいますか?」と書かれた紙を持つ老人。いま、彼が中国ネットユーザーの関心事になっているそうだ。

彼が探しているのは名前からもわかるように日本人女性だ。今年92歳になる彼は、69年前、終戦直後の1945年11月に台湾で離れ離れになった日本人の恋人を探しているのだという。

・69年前の恋人を探すおじいさん

彼の名前は周福康さん(92)だ。中国は浙江省杭州市の蕭山(しょうざん)出身で、今も現地で一人暮らしをしている。結婚もしておらず、わずかな手当てと廃品回収で稼いだ少ない金で質素に暮らしている老人だ。

そんな彼が急激に注目を浴びたのは、69年来の「人生最後の願い」を公開したことによる。それは1945年に台湾で離れ離れになった日本人の恋人に会いたいというものだった。

・日本人女性・辺見須恵子さんとの出会い

1945年9月、中華民国の国民党軍に従軍していた彼は、日本の敗戦に伴い、それまで日本が統治していた台湾の接収に際し、現地に降り立ったのだという。当時22歳。彼の所属する部隊は、台湾北部の新竹国民小学校に駐屯することになった。

その頃、日本の軍はほぼ撤収していたが、庶民はまだ台湾に残っており、新竹国民小にもまだ日本人の教員が残っていたという。周さんは、任務がないときはよく音楽室に行き、教員たちが奏でるピアノの音色を聞いていたそうだ。

ある日、いつものように周さんが音楽室を訪れると若い女性がピアノを弾いていた。彼がその音にあわせてハミングすると、女性は振り向き、ニコっと笑ったそうだ。それが辺見須恵子さんだった。

・音楽室で過ごした幸せな時間

辺見さんの笑顔はとても美しく、周さんは彼女の姿とピアノにすっかり虜になってしまったという。辺見さんは音楽教師。それからの周さんは暇さえあれば音楽室に行き、「たまたま通りかかった」ふりをして辺見さんに会いにいくようになったそうだ。

辺見さんがピアノを弾き、その横で彼が歌う。彼の鼻歌にあわせ、彼女がピアノを奏でる。お互い言葉は全く通じず、細かい話は通訳が必要だったが、彼女のピアノさえあれば言葉は必要なかったと、周さんは振り返っている。

・突然の別れ

しかし、2カ月後の1945年11月。新竹国民小から全ての日本人教員が消えてしまった。日本への引き上げが決定したのだ。周さんは基隆(キールン)港まで彼女を見送りに行ったそうだ。そこで、悲しそうにしている辺見さんに、通訳を介し別れの言葉を告げた。

もう一生会えないだろう。周さんは本当は「これからもあなたを思っている」と彼女を抱きしめたかったが、軍人たるもの感情的になるものではないと思い、この言葉だけは翻訳させず、手を振り、彼女を見送った。そしてそのまま69年が過ぎたのだ。

・その後の波乱の人生

その69年も周さんにとって決して平坦なものではなかった。1947年、国共内戦のため周さんの部隊は大陸に戻り、人民解放軍と交戦するも大敗を喫する。そして、中華民国政府も台湾に逃れ、大陸は中華人民共和国に。周さんは故郷である杭州市の蕭山に戻った。

さらに、1955年、彼は国民党に入党、および国民党軍への従軍していたかどで「反革命罪」で捕らえられてしまう。周さんは新中国成立前の話だと無罪を訴えたが、否認すれば一族郎党「反革命家庭」に処すと言われ、罪を認めるしかなかったのだそうだ。そして1970年までの15年間、内モンゴルに投獄されることになる。

・彼女と出会えて幸せだった

釈放後も、文化大革命終了まで内モンゴルで過ごし、1984年に61歳でやっと杭州に戻ってこれた周さん。その後もいろいろあったが、現在は故郷の蕭山に落ち着き、月618元(約1万700円)の手当てと廃品回収で稼ぐ30元(約520円)ばかりの日銭で暮らしている。

はっきり言って彼は経済的に豊かとは言えない。だが、辺見さんと過ごした幸せな時間を思い出すと、とてもいい人生だったと思えるそうだ。そして、もう一度彼女に会いたいと思っているそう。

「本当は、私みたいな廃品拾いの爺さんは彼女に会うことなんかないと思うんですよ。日本人に私が今ゴミを拾って生きていると知られるのも恥ずかしいことですし……。ああ、でも本当は、やっぱりもう一度彼女に会いたい」。

・いまだわからない辺見さんの行方

辺見さんの行方は依然としてわかっていない。周さんも昔、仲間から「引き上げ船が水雷で沈没したらしい」という話を聞いたことがあるそうだ。「もう亡くなっているかもしれない」と涙ぐむ周さん。だが辺見さんがその船に乗っていたのかどうかはわかっていないという。

この周さんの願いを地元紙が報じたところ、中国国内でも大きな反響があったそうだ。2人の再会を願う声とともに、周さんにこんな生活をさせていていいのかと批判の声も寄せられている。

辺見さんについては、今のところ有力な情報は得られてない。些細なことでもいいから、何か手がかりが見つかるのを願わずにはいられない。だが、後者に関しては進展があったそうだ。自治体やボランティアの働きかけにより、老人ホームに入ることが決まったとのこと。最初は固辞していた周さんも、余生をそこで送ることを決断したとのことである。

参照元:鳳凰網湘湖網、Sina Weibo @都市快報(中国)
執筆:沢井メグ

▼こちらが周福康さんだ
9a8a3d2f103d4833fbc2b0480f292164

377cca950af3c329e271976d2b83642f
▼反響は大きいが、まだ有力な手がかりは見つかっていないそうである
6e1fdf79gw1ek4v0ulzv2j20c8095jsl