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先日、台湾野球の礎を築いた「嘉義農林学校(かぎのうりんがっこう)」をご紹介した時に少し触れたが、彼らの甲子園での活躍に呉昌征(ご・しょうせい)選手は欠かせない存在だ。

卒業後、日本のプロ野球で活躍し「人間機関車」の異名をとった彼のことを動画「呉 昌征(呉 波)」と合わせてご紹介するぞ。果たしてどういった野球人生を送ったのか、詳細は次の通りである。

・呉昌征選手とは

1916年6月28日、呉昌征選手は台湾の台南市で生まれた。映画『KANO』の舞台となっている嘉義農林学校時代では、1933年夏、1935年春夏、1936年夏の甲子園大会に出場。左投左打で投手と外野手を兼任し、チームを引っ張った。

ちなみに映画『KANO』は、1931年の甲子園で初出場ながら決勝まで勝ち進んだ実話をベースに作成されている。呉昌征選手はその時のメンバーではないが、準優勝がまぐれではないことを4度の甲子園出場という形で証明した。

・台湾人初のプロ野球選手

強い肩が彼の持ち味で、動画でも確認できる韋駄天の快脚は「人間機関車」とも呼ばれた呉昌征選手。彼は日本のプロ野球選手に初めてなった台湾人であり、現役時は東京巨人軍、阪神軍、大阪タイガース、毎日オリオンズでプレーした経歴がある。

・元祖二刀流

タイトルにも縁があり、巨人時代には最高殊勲選手1回、首位打者2回、阪神では盗塁王を獲得している。さらに驚きなのが、投手としてもノーヒットノーランを達成していることだ。

一流の投手がその野球人生で一度できるかわからない偉業を、彼は外野手が本業ながら成し遂げてしまった。走攻守の三拍子だけではなく、投打の二刀流をも可能とした野球センスは、異次元のレベルだったと推測できる。

・野球殿堂入り

そして呉昌征選手が野球殿堂入りしたのは1995年のことだ。1987年に亡くなった後での受賞だが、甲子園からプロ時代まで野球を通して、日本との架け橋になった活躍が特別表彰された。

彼の功績は映画『KANO』により、台湾だけなく、日本でも再び脚光を浴びることだろう。映画の公開は2月27日に台湾で、3月7日には大阪アジアン映画祭で上映される予定となっている。

参照元:YouTube
執筆:原田たかし