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シーズンも終わり、ストーブリーグに入ったプロ野球界。各チームは来季へ向けて選手の補強や若手育成に力を注いでいる。そんな中、気になるのは新外国人の動向で、注目しているファンの人も多いことだろう。

優良助っ人がいる裏では、戦力とならなかった助っ人も数えきれないほど多くいる。そこで今回は「仰天エピソードで帰国した外国人選手10選」として、個性的な選手たちをご紹介していきたい。

1.ブラッド・ペニー投手(ソフトバンク)

2012年にメジャー通算119勝の実力を買われ、年俸2億2500万円(推定)でソフトバンクに入団した右腕。シーズン1試合に登板し64球を投げ、6失点で炎上すると「右肩が痛い」と米国へ帰国し、日本に戻ることはなかった。

検査で異常がなかった上に、帰国後には Twitter で「アメリカに帰れて最高だぜ!」とツイートし、日本球界を唖然とさせた。NPB史上最低の外国人助っ人との呼び声も高い。

2.マイク・グリーンウェル選手(阪神)

今や日本人にとっては身近となったレッドソックスに12年間在籍した好バッター。1997年、阪神に史上最高額(当時)となる年俸3億円超で入団するが、約1週間で自打球を足に当てて骨折すると「野球を辞めろという神のお告げ」と引退を宣言して帰国した。

3.ロバート・ローズ選手(ロッテ)

1998年に横浜ベイスターズの日本一にも貢献したローズ選手。2000年に横浜を退団し、2002年のオフには千葉ロッテと契約したが、家族が環境に馴染めないことと、自身の打撃不振を理由に入団後わずか28日でキャンプ中に退団をした。

4.ダン・ミセリ投手(巨人)

2005年にクローザーとして期待され、巨人に入団したミセリ投手。だが、4試合2回2/3イニングに登板し、その都度メッタ打ちにされて防御率23・63と大炎上。1セーブもできずじまいで二軍落ちを命じられるも契約を盾に拒否したため、解雇を通告された。

5.バール・スノー投手(日本ハム)

1974年に貿易会社の社員として来日し、何を思ったかスノー投手は日本ハムの入団テストを受けた。見事に合格を勝ち取って入団するのだが、二軍行きを命じられると4月に初めての給与を受け取り蒸発。すでにアメリカに帰国していたという話しだ。

6.ケビン・ミッチェル選手(ダイエー)

1995年に長距離砲として期待されてダイエーに入団し、初打席で満塁ホームランという離れ業をやってのけたが、故障しがちで徐々に欠場するようになってしまう。無断帰国も発覚し、解雇された後では金銭を揉める裁判沙汰ともなった。

7.ジョー・ペピトーン選手(ヤクルト)

今では優良助っ人の発掘球団であるヤクルトだが、1973年にはとんでもない選手を獲得していた。シーズン中盤に加入したペピトーン選手は無断帰国や仮病は日常茶飯事で球団を困らせた。結局解雇されたが、前年来日時の荷物や飼い犬の空輸送料を請求と最後までトラブル続きだった。

8.エリック・ヒルマン投手(巨人)

1995〜96年に在籍した千葉ロッテでは好成績でベストナインにも選ばれる活躍を見せたが、移籍した巨人では一変。左肩の違和感を訴え続け、「肩に小錦が乗っているようだ」とも弁明した。97年に2試合に登板、98年は登板しないままシーズン途中で解雇された。

9.シクスト・レスカーノ選手(横浜)

メジャーで1000本安打を達成しているバッターとして1987年に横浜大洋ホエールズに入団。しかし不振を極めた5月に「速球が怖くなった」という理由で引退を発表し、そのまま退団した。

10.ドン・マネー選手(近鉄)

1984年、近鉄に入団したが老朽化していた本拠地・藤井寺球場や用意されていた住居に失望。「大量のゴキブリが出る」ということを理由に退団した……のだが、金銭の全額返却を申し出、球団に責任を押し付けることはなかった。

以上が選ばれた10人の選手だ。来季はメジャー通算555本のホームランを放ったマニー・ラミレス選手の獲得も噂されており、一体どんな外国人選手が来日するか今から楽しみである。

執筆:原田たかし
Photo:Rocketnews24.