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プロ野球の打者にとって「2000本安打」というのは大きな目標であり、勲章である。名球界入りの条件なだけに、長年に渡って活躍しなければ届かないもので、その達成は至難の業だ。

今回は、その2000本安打の最年少記録保持者である伝説のバッターを動画「バッキー vs 榎本喜八(1966)」と合わせてご紹介したい。ボールの見送り方ときれいなフォームに注目だ!

・榎本喜八さんとは

1936年12月15日東京都生まれで、2012年3月14日に大腸がんのため75歳で亡くなった。早稲田実業高等学校では3度甲子園に出場、そして卒業後には千葉ロッテの前身である毎日オリオンズに入団した。

榎本さんは高卒1年目から一塁手のレギュラーとして活躍すると、オールスターにも選出され、打率・298という成績で新人王も獲得した。選球眼が非常によく、軸のぶれないフォームは今でも理想的と言われることが多い。

・合気打法

合気道の創始者である植芝盛平氏に師事していた先輩の荒川博氏の影響で、榎本さんも合気打法に取り組んだという。その成果もあってか、1960年には打率・344、66年には・351という好成績を残した。

・驚異的な安打ペース

毎年、コンスタントに100本以上の安打を積み重ね、24歳と9カ月で1000本安打を達成。そして2000本安打は31歳と7カ月という若さで達成した。ちなみに日米通算ではイチロー選手の30歳7カ月が最速だが、榎本さんのペースも尋常ではない。

引退までの18年で積み重ねた安打は2314本で「安打製造機」と呼ばれた最初の打者としても知られている。ちなみに最終年に西鉄でプレーした以外はオリオンズ一筋だったので「ミスターオリオンズ」とも呼ばれていた。

現役晩年にはベンチで座禅を組むなど型にはまらない振る舞いが目立った榎本さんだが、その打撃センスは誰もが認めるものであった。彼のようなきれいで鋭いスイングをする打者は、後にも先にもそうお目にかかれないか。

参照元:YouTube
執筆:原田たかし

▼とても一昔前のスイングとは思えない!

▼こちらは植芝盛平氏の合気道