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Google Japanは「軍艦島」の名前で知られている、長崎県の端島(はしま)のストリートビューを公開したことを発表した。この島は、長崎港から19キロにある半人工の島で、その昔炭鉱として栄えた。

・島のほぼ全土を網羅

ストリートビューは島のほぼ全土を網羅している。通常の見学ルートのほかに、立ち入りが制限されている場所まで確認することが可能だ。そのなかでも特に見て頂きたい場所を、二カ所お伝えしよう。

・生活の痕跡はほとんどない

2013年3月、記者(私)はこの島の潜入取材を行った。そのときとても印象に残ったのが、人が生活した痕跡がほとんど感じられなかったことだ。最盛期には約5000人もの人が生活し、当時の東京をしのぐほどの人口密度だったという。しかし今となっては暮らしのあとが見えない。

・無慈悲なまでの廃墟

島は長年風雨にさらされて、建物のほとんどが朽ち果てている。窓はことごとく破られて、ひどい場所ではコンクリートが崩壊し、そのなかの鉄筋も錆びついている状況だ。時折建物が崩落することもあるという。そのときにはドーン! と大きな音が響くそうだ。

・コンクリートの足跡

暮らしの気配は跡形なく消え去っている。しかしわずかながら、人の生きた証を確認できる。そのひとつが、コンクリートについた子どもの足跡だ。65号館の東にあるテニスコートの入り口に、小さな足跡がある。この跡をつけた子どもは、今どのような生活をしているのだろうか?

・壁の落書き

そしてもうひとつは壁の落書き。この島は2008年に長崎県の条例で一部のエリアが立入禁止になった。それ以前に島に上陸した人たちが、壁に落書きを施している。書きなぐられた文字の筆跡から、これを書いた人物の人柄がうかがえそうだ。 

・1974年に閉山

これらはストリートビューでも見ることが可能だ。1810年に石炭が発見されてから、1974年に炭鉱を閉山するまで、たしかにそこに多くの人がいて、それぞれの暮らしがあった。当時の様子を想像しながら、ストリートビューを見てみるのも面白いかもしれない。

参照元:Googleマップ長崎市観光宿泊ガイド


▼ストリートビューで軍艦島のほぼ全土を見ることができるgooglegunkan4
▼島の地図。西側は見学ルートが整備されているが、東側は立ち入りが制限されている(詳細な地図は「長崎市観光宿泊ガイド」のページで確認できる)googlegunkan7
▼東側のテニスコートの入り口に、子どもの足跡を確認できるgooglegunkan3
▼2013年3月取材時の画像gunkan42
▼同じく島の東、66号館の壁に書かれた落書きgooglegunkan2
▼2013年3月取材時の画像gunkan44

軍艦島