P1420712

大阪名物のグルメといえばたくさんあるが、そのなかでもたこ焼きと肩を並べて特にメジャーなものが『お好み焼き』だ。だが、そんな大阪人のソウルフードである『お好み焼き』が、じつは大阪が発祥でない可能性が高くなってきた。

大阪出身者が聞いたら失神するかもしれないが、お好み焼きは東京生まれという説が有力なのである。では、なぜお好み焼きが東京発祥だという説が有力なのか? お好み焼きの歴史から考察していきたいと思う。

・お好み焼きのルーツは千利休考案の『麩の焼き』
お好み焼きのルーツとして知られているのが、千利休が考案した料理『麩の焼き』である。麩の焼きとは小麦粉を水で溶いて薄く焼き、芥子の実や味噌、砂糖を塗って丸めて食べる和菓子だが、これがお好み焼きのおおもととされている。

千利休は和泉国(現在の大阪府西南部)・堺の出身なのでこれを元祖とすればまぎれもなく大阪はお好み焼きの発祥だが、現在のお好み焼きとあまりにかけ離れているため、これを発祥とするのはやや無理がある。

・明治時代にややお好み焼きに近づいた『どんどん焼き』が誕生
そして明治時代になると、麩の焼きよりもややお好み焼きに近い形の『どんどん焼き』が誕生する。これは東京でもんじゃ焼きより少しあとに生まれたのだが、もんじゃ焼きとの違いは粉の多さで、持ち運びに便利な固さにしたということ。

だが、どんどん焼きが流行した明治時代から大正時代にかけては『お好み焼き』という単語はなく、どんどん焼きはお好み焼きにかなり近いものであったにせよ、お好み焼きに欠かせない調味料などが使用されているかも不明なので、こちらも発祥というにはやや弱い。

また、兵庫県では大正時代に『にくてん』と呼ばれるお好み焼きに近い料理が存在したが、豆や牛肉を煮たもの、こんにゃくが入った醤油味のものなのでこちらも発祥ではないと思われる。

・【根拠その1】お好み焼きは銀座発祥?
熊谷真菜さんの著書『たこやき』によると、お好み焼の元祖は昭和初期に東京銀座の路地裏の店で焼かれたのが最初だと書かれている。

だが、お好み焼き屋は当時取締りが厳しかったことで密会所程度のものとなり、あまり東京では普及しなかったようだ。まずこれがお好み焼きが東京発祥といえる根拠のひとつとなる。

・【根拠その2】昭和14年から連載の小説『如何なる星の下に』には、東京のお好み焼き屋「浅草染太郎」をモデルにした店が出てくる
さらに有力な根拠となるものが、高見順の小説『如何なる星の下に』だ。これには昭和12年(1937年)に東京で創業したお好み焼き屋、「浅草染太郎」をモデルにした店「惚太郎」というお好み焼き屋が登場する。

それだけだと本当に現在のお好み焼きに近いものが提供されていたのか不明だが、文中にはメニューも掲載されており、そのなかで「いかてん」、「えびてん」を焼いているとも書かれており、「やきそば」もあるのではじめておおやけに店でお好み焼きを提供したのが、東京の「浅草染太郎」という説が強くなってくる。

・【根拠その3】大阪で浅草染太郎より以前に創業したお好み焼き屋が存在しない
では、大阪には浅草染太郎より前に出店したお好み焼き屋があるのだろうか? 調べてみたところ大阪でもっとも歴史を持つお好み焼き店は、1946年に創業し現在多数の店舗を持つ人気チェーン「ぼてぢゅう」だったので、浅草染太郎より9年もあとにできたことになる。

つまり、お好み焼き文化は東京のほうが9年も大阪より歴史があるというわけだ。

また、この考えについて大阪出身の人数名に話を伺ったところ「確かに大阪だと店でお好み焼きを食べることがあまり無く、私も高校生になってはじめて大阪でお好み焼きを食べたので発祥については分からないです」という人や、「大阪で歴史の古いお好み焼き屋ってぼてぢゅうぐらいしか知らないです」という人が多かった。

話を聞く限り家でお好み焼きを食べることは結果的に東京より大阪のほうが多くなり、普及率が関西で高くなったのでお好み焼きは大阪名物となったが、『お好み焼き屋』というかたちで店を出し、初めて広めた発祥については、東京の「浅草染太郎」という説がいまのところ有力である。

文:なかの
写真:ロケットニュース24
[ この記事の英語版はこちら / Read in English ]