南樺太は1945年まで日本領だったことをご存知だろうか。筆者は1981年生まれのため全く実感はないが、1945年当時は約40万人もの日本人が住んでいた。しかし、1945年8月9日、ロシアが日ソ中立条約を一方的に破棄し南樺太に侵攻、8月28日には樺太全島を支配し、現在サハリンはロシア領(国際法上は帰属未定地域)として存在している。そして、そんな場所がゆえに、サハリンには今もなお、日本の痕跡が多々見られる。

さて今回筆者が訪れた「樺太神社跡」もその1つである。これは、1911年(明治44年)に建てられた樺太唯一の官弊大社だ。要は神社であるが、現在においては、神社があった形跡など現地に行っても全くわからない。そして唯一現存するのは、かつての宝物殿とされる建物のみがあること。宝物殿とはその名の通り宝物を納めていた建物である。この宝物殿と当時のものと思われる「湧き水小屋」が今でもユジノサハリンスク(日本名:豊原)に残っているのだ。

実際、筆者はこの夏にサハリンに行き、「樺太神社跡」を訪れたが、宝物殿は落書きとゴミで汚れ、日本人として悲しい状況を目の当たりにした(もちろんこの場所がロシアであることは理解しているのだが…)。たぶんこれは筆者だけでなく多くの日本人も感じることだろう。とにかく当時、この場所には多くの日本人が参拝し、祈りを捧げていたに違いない。その想うとより一層心が痛む…。

ちなみに、この「樺太神社跡」、現在はその周辺が工事中となっていて、何も知らずに行くと必ず迷ってしまう。できれば、ロシア語がわかるガイドをつけるか、ツアーなどで参加し行くのがベストだろう。

写真=ロケットニュース24